いよいよフランス地方への進出を本格化した我が国には各国から警戒の目が向けられます。
上の画像は直前の対仏・プロヴァンス戦の結果。フランス地方の主要3か国に大きなAEが乗っています。
対抗同盟を組まれると厄介ですが、時は既に1656年。
ローマ帝国復活に必要な領土を考えると、のんびりとほとぼりを冷ます気分にはなれません。
停戦期間中の国は対抗同盟に参加しないことを利用して、主要国と順繰りに開戦→停戦を繰り返してゆく戦略を採ります。
1656年12月、イタリア半島に残るスペイン領征服を名目として開戦。
敵の同盟はポルトガル。こちらはオーストリアが参戦してくれます。
1659年、ようやくイタリア半島全土を回復。またイベリア方面にも1州を獲得。
シチリア島の1州は次回の宣戦事由として残しました。
戦争中にルッカの併合が完了。
空いた外交枠には、コア化せずに残しておいたLimousinをガスコーニュとして属国開放。
複数のコアを持っているのでCBを提供してもらいます。
欧州では一時的に全ての敵と停戦期間に突入。
目をアジアに向けますが、今後の連戦が予定される中ではあまりこちらに力を割きたくありません。
特にペルシャは国土が広いので時間がかかりそう。
でもペルシャの同盟にクレーム付けるところから始めるのも面倒だな~と思って見ていたら…
ThreatenWarが有効でした!
カラマンのコアをこれで順次返してもらいましょう。
ShirvanやGeorgia、さらにはリトアニアにもThreatenWarを仕掛け…
最終的にはカラマンのコアが消失した1704年までの間に計8州を脅し取りました↓
途中でGeorgiaがペルシャの属国にならなければもう少し行けたなぁ。
東で戦争をしなくてすんだので、南に兵を動かします。
1661年、チュニスに宣戦。
次回の征服を念頭に、国力を削ぐべく首都チュニスとおまけで東の数州を奪取。
マグロは泳ぎ続けないと息ができずに死んでしまいます。
我が国は闘い続けないと対抗同盟を組まれて死んでしまうに違いない。
国力がついたからこそ採用したはずの連戦戦略でしたが、
気づけばおかしな焦燥に駆られながらイタリア軍は欧州を駆け回っています。
1664年ブルゴーニュに宣戦。
1665年、3州を奪って終戦。スイスからは領土を奪っていないのにAEが50を突破。
1666年、ガスコーニュのCBでフランスに宣戦。プロヴァンスがついてくる。
相変わらずフランス相手の会戦は勝ってもこちらの被害の方が大きい。
ごり押しすること3年。
5州(ピンク)を獲得、2国(オレンジ)を独立させて停戦。
対抗同盟候補は6か国に。
せっかく解放した小国を属国化したいが、外交枠が足りない。
マムルークの併合を開始。
1670年、英国植民地ThirteenColoniesがポルトガルの支援のもと独立戦争を開始。
英国の参戦要求に応えますが、軍は動かしません。
同じく同盟参戦したオーストリア軍がポルトガル領に達したところで
1671年、対西戦争開始。
イギリスはついてきてくれませんが、向こうもポルトガルが不参加。
オーストリアはすぐさまスペイン領を蹂躙してくれます。
我が軍は先の戦争の傷が癒えていないフランス領を制圧。
1674年、シチリアに残った1州とバレアレス諸島、さらにバルセロナ他1州を奪取。
レオンとナヴァラを独立させます。
1677年、停戦の明けたブルゴーニュに宣戦。
度重なる戦争に、オーストリアからのfavorはついに10を切り
また英国はいまだ独立戦争に対処中のため単独での開戦となりますが
対抗同盟の成立を阻止したい一心で飛び込みます。
主戦場がアルプスとなったので、迂闊な移動と会戦は禁物。
自国領から離れずにじわじわと占領地を広げ、遠くのボヘミア領には手を出さずに和平交渉。
ブルゴーニュ州・ガンド州(低地地方)を奪い、またスイスとボヘミアとの同盟を切らせます。
(しかし、振り返ると同盟を切らせたのは失敗でした。
弱体化したブルゴーニュにプロヴァンス・フランス・オランダ連合が襲いかかり、
5年後にはブルゴーニュは1州だけの国に。この影響がどう出たかは後日…。)
1680年にマムルークの外交併合が完了。
空いた枠を使って先の戦争でフランスから解放していたオルレアンと同盟を結びます。
狙いは外交属国化。関係を向上させて1681年に成立。
一方、同じ戦争で解放したDauphineはこの年再びプロヴァンスに併呑されてしまいました。
1682年、今度はガスコーニュの外交併合を開始。
またAdmレベルが22に到達したのでQualityアイディアを獲得。終盤に向けて軍の質を上げてゆきます。
年末にはプロヴァンスとの停戦が明けたので宣戦。
フランス・オランダ・アーヘンそしてTyroneがついてきます。
こちらにはオーストリア。
戦中の1683年11月、皇帝が崩御。新帝はFrancesco2世(2.4.1)
フランスからは1州を奪いつつ、スペイン・オランダ・プロヴァンスとの同盟を破棄させます。
プロヴァンスからは3州をイタリアに。
周辺からのAEが相当溜まってきました…。対抗同盟の候補は11か国。
仮に対抗同盟を組まれても難なく対処できるくらい周辺国を弱らせるまで、我が国は止まるわけにはゆきません。
尻を遠火で炙られているような気分で戦い続けます。
1686年、欧州各国と停戦になってしまったので南進。地中海南岸の勢力を伸ばします。
1690年、スペインとの停戦が明けたので宣戦。
今回はオーストリアはお休み。イギリスに援軍を頼みます。
スペイン領は順調に占領しますが、ポルトガル領の要塞が硬い。
なかなか戦勝点を伸ばしきれない中、占領中のスペイン領で反乱軍も湧き始めたので1694年に停戦。
イタリアとガスコーニュで計6州を奪取。そしてカタロニアを解放。
1694年、残り1州となったブルゴーニュに宣戦。
同盟相手はボヘミア・メッミンゲン・アンハルト。実質はボヘミア相手の戦争ですね。
これなら独力で対処可能と踏んだのですが…。
ブルゴーニュ自体は労なく占領したものの、完全併合になるため高い戦勝点が必要です。
必然的にボヘミア領に攻め込むことになりますが、連中の要塞は堅く、
また参戦していないオーストリア領を挟んで2箇所に領土を持つため
会戦に勝っても敗軍は逃走してしまい殲滅することができません。
結果としてずいぶん人的資源を損耗する羽目に。
1696年、なんとかブルゴーニュ領を完全併合して停戦。
人的資源は90kほど減って145kに。
なんだか、独力で戦うとやたら苦戦している気がします。戦争が下手なのかな。。。
ほんのりと弱気に襲われたのを機に、一度落ち着いて状況を見つめ直すこととしました。