AAR/女王想話

第七話 ~終わりの始まり、そして~

疑惑

「それが本当に母上からの申し送りなのだな」
「宮廷歴史家の名に賭けて保障致します」

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突如の母の死は疑惑に満ち溢れていた。
私はプリンスオブウェールズと据え置かれ、次期英国王は女王の従姉弟であるヨーク公ウィリアムとする決定はいつなされたというのだ。

宮廷歴史家は言明しなかったが回顧録を残したという形跡まである。
急死した人間が何故回顧録を用意しているのだ。
何かもがおかしい。
ヨーク公ウィリアム……次期英国王ウィリアム4世に問うても、お前が全てを知るにはまだ早いという。

ウィリアム4世は世界各国に配備された軍隊をフランス領に一時戻すという不可思議な決定を出した。
まさか世界を統べるという一族の悲願を諦めようというのではないか?

後日、世界一の軍隊、名だたる将軍達が首都アントワープに集められた。
全ての大臣、将軍、有力な貴族の前で王は宣言した。

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「皇帝冠を奪い取る」

家臣は皆動揺した。
私は一同を代表して口を開く。

「すでに次期神聖ローマ皇帝位については過半数の選定侯の同意を得ております。何も無理やり奪い取るような真似をせずともよろしいではないですか」

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「弁えよ王太子。余は諮問を求めているのではない。決定を伝えたのだ」

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こうして我が大英帝国は神聖ローマ帝国皇帝でありまだ成人もしていないカール2世に対して挑戦状を叩きつけたのである。

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精強な軍隊を誇る皇帝軍は強かった。
倍に近い英国軍を前にして圧勝し、神聖ローマ皇帝としての意地を我々は見せ付けられたのである。

このポツダム会戦敗北の二日後、在位2年でウィリアム4世はこの世を去った。
あまりにも早い死に誰もが驚かされた。

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私は王の権限を行使して母であるマリー2世、前王ウィリアム4世の回顧録に目を通す。

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そこには全ての真相が書かれていた。

マリー2世はウィリアム4世の刺客によって殺された。

これでいい。
これが真相であれば優しかった母上は天の国に旅立てるのだ。
私は胸の前で十字を切り、ウィリアム4世に感謝した。

突如始まった神聖ローマ皇帝との戦いは良好だったドイツ諸邦との関係を損なうものである。
前王ウィリアム4世が死んだのだから停戦交渉を行なうべきとの声が日増しに大きくなっていった。
裁可を求める家臣に私は告げた。

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「皇帝冠を取り戻すまで徹底的にブランデンブルク侯を叩き潰す。是非は問わぬ」

かつて前王の出兵宣言を避難したはずの皇太子の変節に家臣は驚いた。

そう、英国女王を拒否する帝国などあってはならぬのだ。
奴らにそれを認めさせるか、認めぬのであれば双頭の鷲の旗など引き裂いてしまえばいい。

マリー2世・ランカスターはこう呟いていた。
平和で苦しみの無い世界を作りたい、と。

レスター伯ウィリアムは私に教えてくれた。
平和とは争いの無い状態ではなく、生きとし生けるもの全てが自らの生を心の底から肯定できる世界であることだ、と。

ウィリアム4世・ランカスターは告げた。
平和とは協調でもなく、自由でもなく、信仰でもない。
寛容なる勝者によってのみ押し付けられるものだ、と。

母上が、父上が、叔父上が、ランカスターの夢を変えてしまった。
かつて一人の女王が抱いた形の無い曖昧だったものを精巧な彫刻に作り変えてしまった。
その造形のなんと美しいことか。

人々に平和を押し付ける為に私は勝者でなければならない。
それが世界を平和にする為に何よりも必要な覚悟だった。

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こうしてぶかぶかの皇帝冠を被った幼いカール2世から位を剥ぎ取り、神聖ローマ皇帝位は正式な持ち主の下へ帰ってきたのである。

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さあ旧弊に甘んじるドイツ諸侯よ。選ぶがいい。
私達と共に同じ夢を抱くか。それとも破滅の道を選ぶか。

~ ジョージ・ランカスターの述懐 ~

帝国改革

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大英帝国から圧力を受け、威信を失ったティムール帝国は崩壊した。
武によって打ち立てた帝国が無様な敗北を喫したことにより、幾多の独立を求めるものが立ち上がったのである。

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大英帝国の支援を受けた独立運動は全国に広がった。
こうしてホラーサーン、オイラートオルド、チベット、ペルシャは独立を果たす。

かつては改革の教えとして広まったプロテスタントは過激かつ領主ごとに勝手な解釈を許していた為に反乱の種となっていた。
一方でイングランド王ジェームズがカトリックの腐敗を一掃した結果、清浄なるキリストの教えは大英帝国の安定に寄与した。

帝国の規模を考えれば、反乱は恐ろしいほどに少ないといってよい。
それも同じ教えを紐帯とし、同じ価値観を有する者同士の相互理解の賜物だろう。

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ジョージ・ランカスターはドイツ諸侯に対して苛烈に接した。
ドイツ諸侯同士が争い、領土を奪うようなことがあれば即座にその権威と権力を見せ付けたのである。
そこには神聖でもなくローマでもなく帝国でもないと言われた国の姿はなかった。

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1641年。
長きに渡る十字軍が終わりを告げる。
かつてはコンスタンティノープルを征服し、ビザンチン帝国を滅ぼしたオスマン・トルコは大英帝国の属国となる。

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オスマントルコの征服という偉大な事業を成した皇帝は床に就いた。

初めにイングランド王ジェームズ1世が神聖ローマ皇帝冠を抱いた時、外つ国の皇帝をドイツ諸侯達は嫌悪した。
そして英国に新たな女王が誕生し、巨大な武力によって治められていた秩序が失われると同時に果てのない帝国諸侯間の争いが再び始まった。

意外なことに彼らは二度目の英国から来た皇帝ジョージを帝国の秩序を守る偉大なる父として迎え入れた。
諸侯は厳格な父の傘下による繁栄を受け入れつつあったのだ。

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ジョージの死から三年後の1644年。
神聖ローマ帝国皇帝位は英国王室ランカスター家の世襲となることが決定される。
もはやこの帝国が女王を拒むことはなくなった。
この改革を成立させたフレドリック王は4年後にこの世を去る。

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大英帝国は欧州での地盤を整えた。
次なる皇帝マクシミリアンは西に目を向ける。
その視線の先にはランカスターの慈悲を拒絶したスペインの忌み子達がいた。

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マクシミリアン帝は新大陸に30万の兵を終結。
カナダ、アメリカ、アルゼンチンを支配下に置く為の戦いを宣言。

「新大陸に巣食う賊共を討て」

1649年、こうして新大陸における戦いの火蓋は切って落とされた。

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紅葉色づく頃に

あの傲慢な帝国は偽善の仮面を脱ぎ捨てたらしい。

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1653年には同じ文化を有する隣国アメリカ連邦は大英帝国の属国となった。
マクシミリアンという名の侵略者は我が祖国に対しても包囲を狭めつつあった。

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西を目指して植民を続けていた同胞は開拓村を焼かれるか、英国の傘下に入るかを迫られ後者の道を選んだが誰も責められまい。

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ドイツではローマを追われた哀れな教皇が皇帝の慈悲に縋り、神聖ローマ帝国領内に土地を分けてもらったという。
カノッサでは雪の中、教皇に膝を突いたというドイツ皇帝。
それが今やイギリス皇帝に対して教皇が跪いている。

もはや肉を食らい女を貪る悪徳僧を皇帝は許さず、帝国の傘下にある街では誠実なる教えを基盤として安定した社会が築かれているという。

だが本当にそれでいいのだろうか。
かの帝国の民衆はまるで偉大なる父に守られ、慈悲にすがる乳飲み児ではないか。
その父が酒を飲み子供に乱暴を振るうようになったらどうするのだ。

我が国のように個々の人々が責任を持って自由な営みを繰り広げるのが神の求める人間の自然な姿なのではないのか。

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帝国の傘下にある国は年々増え、直接統治している土地は広大だ。

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1670年、ドイツ諸侯は神聖ローマ帝国皇帝及び大英帝国皇帝マクシミリアンに臣下の礼を捧げる。
大英帝国は更なる兵力を手にし、余剰兵力は新大陸征服に送られた。

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そろそろこの国では紅葉が色付く季節がやってくる。
長きに渡って祖国を苦しめた戦いももうじき終わるだろう。
カナダ政府は明日、大英帝国の属国になることを受諾する条約の調印をするらしい。
私達も清き教えの元、帝国の繁栄を享受する人形に成り果てるのだろうか。

…私は考えるのを止めた。
この世で最も幸福なのは白痴の者なのだ。

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~ とある老兵の述懐 ~

五賢帝の時代

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1682年、北米を征服したマクシミリアン帝も72歳で世を去った。
次なる皇帝は皇太子時代から将軍としてカナダを征服したフレドリック2世・ランカスターである。
彼は厚い信仰心を抱き、剣を取らせては勇敢であるという名声から国民の人気が非常に高い皇帝だった。
そしてその評判どおりの卓越した政治手腕の持ち主であった。

彼のことを人々は敬意を込めてこう呼ぶ。
アウグストゥス(尊厳者)フレドリック2世。
帝政ローマの初代皇帝と同じ尊称を得たこの王は先代からの征服事業を継承している。

皇帝は残された新大陸国家アルゼンチンの征服に着手した。
孤立しているスペインの忌み子は1692年には陥落し、英国の傘下に入る決断を下す。

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このあまりにも遅すぎる決定に対しても皇帝は罰することなく許した。
それはあたかもローマのクレメンティア(寛容)に準ずる行為であり、アウグストゥスの尊称に加えて彼らが古代ローマ文化の正統なる継承者であると主張したかったのかもしれない。

先代のマクシミリアン、そしてフレドリック2世の新大陸を征服した親子の時代を指して人々は尊厳者の時代と呼んだ。

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マリー2世以降、70年余りで5人の王が英国を統治した。

ウィリアム4世(在位1621~1623)
ジョージ1世(在位1623~1641)
フレドリック1世(在位1641~1648)
マクシミリアン1世(在位1648~1682)
フレドリック2世(在位1682~1693)

この5人の王を我々は五賢帝と呼んでいる。
まさしく彼等こそが次の偉大なる王の征服の下地を完成させたからだ。

そしてこの時代は宮廷歴史家の休息の時だった。
五賢帝は御伽噺を読むには就任時に歳を取りすぎており、回顧録に対する記録も儀礼的にしか取り組まなかったのである。
彼らの本音を書き取ることができなかったのは一族の技量不足でもあるが、皇帝の非協力的態度にも一因がある。

しかし我ら一族は次なる役者によって眠りから叩き起こされることになる。
彼はランカスターの夢を愛し、ランカスターの御伽噺の愛読者だった。

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庶子王ウィリアム(william the bastard)
奇しくもノルマン人としてイングランドを征服した王と同じ異名を持つ少年が王となり……。

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未だ古びた封建君主制にある英国を変革し、王の権利を制限した上で英国議会を改革しようと目論む英国政治家。
オーフォード伯爵ロバート・ウォルポール卿。

この二人が大英帝国の征服を終わりへ導く役者になると信じるものは1700年の時点で誰一人としていなかった。

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五賢帝の時代を終えた帝国民は庶子の王を完全に拒否していた。
庶子王ウィリアムはまず初めに自らが正統なる英国王であることを証明しなければならなかった。

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一方で一人の王に頼る英国の将来を危惧する政治家ウォルポール卿。
彼の意見の賛同者はこの段階では存在していなかった。
人々は偉大なる征服者に庇護され、指図されることに慣れすぎていたのである。

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私の胸の高鳴りは止められそうにも無い。
宮廷歴史家一族、一大傑作に携わることができるのだから…。

~ 宮廷歴史家エドワード・ギボン著 「大英帝国興隆史」より ~

第七話 ~終わりの始まり、そして~ 完

次回 第八話 ~孤独なる人~ に続く。

第八話 ~孤独なる人~


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