AAR/六芒星の誤

AAR/六芒星の誤/4(1578~1611)Najd 而立雖モ多惑

独りぼっちの赤ん坊(1578~1591)

親の死と年上の息子たち

1578/07 (3.6.5)だが継承力の弱い後継者が誕生。無事に育つと良いが

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	独り立ちに飽き足らず、親を死に追いやった。戦国の習いとはいえ…

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	突然現れた"やたらとデカい赤ん坊"が父親面をしはじめたので、当然反発する子供たち
	"寛大な課税"政策を選んだが焼け石に水だった

反抗期(物理)

1580/?? ArdalanとHejazが反旗を翻す。親の言うことを聞けないとはケシカラン!

	反抗期に陥ったのがTimuridsやPortugalでなくて本当に良かった

1581/12 Hejaz個別講和。Najdの属国に留まる+コア放棄+金銭
1581/12 Commonwealthに宣戦布告される
1581/12 クルド文化に文化シフト→各地をステートに昇格(ついでにトルコ文化を受容文化に昇格した)

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	他の子供たちへの見せしめとして完全併合。ゆうこと聞かないとお尻ペンペンだぞ

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	質量ともに敵が圧倒的だったので、これで済んで良かった。自分がCommonwealthなら絶対100点講和以外認めなかったと思う
	包囲網を組めそうなので停戦明けが待ち遠しい

1584/03 Englandと同盟
1584/09 長男(Timurids)を辺境伯に任命

	純粋に独立欲求対策(Dev合計が大きすぎるためボーナスは適用されなかった)

1584/10 攻撃アイデアを破棄して交易アイデアを取得

	これも判断ミスだった。先に影響アイデアを取得して外交併合を早めるべきだった

1586/04 Medri_Bahri領DEMBIYAにてユダヤ教狂信者反乱発生(2回目)→今回も鎮圧されてしまった
1588/03 君主の性格に"Benevolent"(独立欲求-5%)追加
1589/02 Georgiaに宣戦布告。目標は威信稼ぎで敵は孤立していた
1590/04 終戦。"Concede_Defeat"
1590/?? Qara_Qoyunluに宣戦布告
1591/01 終戦。1州割譲+コア放棄+金銭

これでようやく威信が50を上回り、政府ランクを公国級から王国級へ、続けて帝国級へ昇格した

	この時獲得した威信を消費して独立欲求を下げ、Timurids以外の属国は忠実になった

1591/02 Medri_Bahri外交併合開始

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	失敗だった。Mughals化後のミッションツリーを踏まえれば、この時同盟するべきはBahmanisの方だった

幼年期の終わり(1591~1611)

初めての包囲網(攻)

1591/12 MalwaはBengalと同盟していたので、Shammerに宣戦布告して釣りだし

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	自国コアと地続きでないため、1州ずつしかコア化できない

1593/09 Medri_Bahri領AGEWにて狂信者反乱発生(3回目)。今回は無事に塗り絵し、Medri_Bahriの国教はユダヤになった

1594/01 Commonwelthの包囲網に参加

	包囲網を組まれて懲罰戦争を仕掛けられた経験は沢山あるが、包囲する側に入ったのは初めてだった。

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1594/02 包囲網CBで宣戦布告
1595/08 2つ目の時代ボーナスとして"Religious_Wars"を獲得。よーし、Commonwealthから沢山領土奪っちゃうぞ~♪
1596/03 継承力の強い(4.2.0)の新後継者が誕生(有能だった元後継者がどうなったかはSSがないので忘れた)
1596/11 Venice個別講和。2州+同盟破棄+金銭

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	包囲網CBの制限事項を理解していなかった。仕方ないのでコア返還と金銭で決着

1597/04 Hejaz外交併合開始

	このタイミングも失敗。先にHejazの併合が完了してしまい外交評判が下がったため、Medri_Bahriの併合プロセスが暫く進行しなかった

いんどーを渡してもらう

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	Bahmanisが来ないのでBengalは必要ないと判断した

1598/04 Transoxiana個別講和。同盟破棄+コア放棄+金銭
1598/12 Sirmur個別講和。交易誘導+金銭
1599/06 課税政策"寛大な課税"を選択→DEVポチ等もあり全属国が忠実に

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	隣接する州しかコア化できず1州ずつ順番だったため、DELHI州のコア化は10年以上先だった

1601/02 Funjに宣戦布告(一度滅んだ後でMedri_Bahri領から独立し、孤立していた)
1601/12 Funj終戦。完全併合

1603年の状況

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1604/11 Ferghanaに宣戦布告。他に同盟の居ないSindhを共戦国に指定

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	1605/02 (4.6.4)の有能君主が崩御。摂政体制になったため開戦できなくなってしまった。

1606/08 終戦。Sindh・Ferghanaを完全併合

1611/03 ようやく後継者(4.2.0)が成人。後継者は継承力の強い(3.2.3)

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DELHIのコア化が完了し、遂に長年夢見た日が訪れる

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Tier1~4が画像のように変更され、ムガルの文化同化システムが有効になった
また、Tier5は"Religional_Representation"(テリトリーの自治度下限-10%)を選択した

1611年の状況

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	Najd→Mughalsで色が殆ど変わらないせいでインパクトに欠ける
	Mughals化したのに何故か"NAJDI_NEAR_EAST"の表示が残っている

同盟 Great_Britain Bengal
属国 Timurids Hejaz Portugal Medri_Bahri

前回(1616年)と比較すると

総じてみると国力の高いNajdの作成→Mughalsへの変態は予定通りだが、絶対主義の恩恵を受けられておらず
現時点ではユダヤ州を領有していない(属国Medri_Bahri領は改宗済み)ため、前回ほどの急拡大は見込めない状況と言える


AAR/六芒星の誤/5(1611~1646)Mughals 標あれど


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