ある意味ハイライトと呼べる部分なので、今回は詳しく
1536/?? Medri_Bahriに宣戦布告。敵同盟はMakuriaとKaffa
GC開始時はEthiopia領だったユダヤの州(SEMIEN州はコプトに改宗されていたので残り1州)をMedri_Bahriが獲得していた
Najd化前にユダヤの種地(赤矢印のDEMBIYA州)を確保しておこうと思い開戦した
1536/07 (6.1.1)の君主崩御。(4.4.3)の新君主即位
1537/12 Makuria個別講和(外交関係破棄+金銭)
属国の独立欲求を下げるために少しでも威信を稼ぎたかった
1538/?? 別口で戦争していたYemenが接点にあたる州を取ってしまった
1538/07 Kaffa個別講和(外交関係破棄+金銭)
1538/11 終戦。仕方なくMedri_Bahriを属国化
ここでの計算違いが後々まで大きく響き、Medri_Bahriを併合できたのは120年後Mughals体制下でのことだった 当然狂信者反乱の蜂起も遅れ、投了の判断に直結した
1539/03 Mamluksに攻め込まれ、孤立していたEthiopiaに宣戦布告
そもそもEthiopiaがちゃんとDEMBIYAを保持していれば、こんなことにはならなかったんや~(泣)
1540/12 Mamluksに宣戦布告。敵同盟はDawasirとFunj
1541/10 Dawasir個別講和(外交関係破棄+金銭)、Funj個別講和(Medri_Bahriに5州)
獲得した新州のうち下2つはMedri_Bahriに、残りはステートコアに昇格後Najdに下賜した この判断もよくなかった。赤斜線の隣接州を1つ残しておくべきだった
詳しくはコアのページに記載されているが、ある国が州を失ったとき
その州がステートコアであれば一定期間コアは残るがテリトリーコアは即座に消滅する
これは講和時の割譲や分離独立派の反乱成功などに加えて、外交併合による国の消滅にも当てはまる
Najd併合後にコアが消滅している様子。他にも複数の州が同様だった。 やむを得ずArdalanを属国作成し、周辺の州も押し付けた
今回の戦略のように属国を外交併合→属国作成でプレイ国交代したい場合、
併合時点でステートコアでない州は属国作成の際に宗主国(今回はOttomans)領として残ってしまう
そうなると自国(交代した国:今回はNajd)の領土・国力が小さくなり、独立戦争でも苦労する
獲得した州を直後に属国に下賜(或いは和平交渉で直接属国に割譲)した場合、
基本的に属国が作成するのはテリトリーコアである。
その後で属国が自発的に該当エリアをステートに設定し、州をステートコアに昇格してくれれば問題ないが 今回のように属国が巨大化してしまうとステート数の上限に達している可能性が高い
これを避けるためには、領土獲得後にまずOttomansがコア化(テリトリーコア)を完了し
ステートコアに昇格させてから属国Najdに下賜する必要があった
こうすることでNajd視点では"テリトリーに属するステートコア"となり、外交併合後もコアが残る
なるべく上記のことに気を付けてはいたが、和平交渉で直接属国(Najd)に割譲させるしかない場合もある
即ちOttomansではコア化のための条件を満たせない州を割譲させるときである
代表的な例が先ほどMamluks戦の講和画面で赤斜線を引いた部分であり、隣接州を全てNajdに下賜してしまった結果
自国コアと地続きでない別大陸となってしまったため、Mamluksとの次戦講和時(1559年)にNajdに割譲させるしかなかった
己の立場を弁えないGranadaとは開戦後に同盟を破棄した
予定外の属国の増加により外交枠を超過していたので、Castile戦で使い潰したら破棄する予定だった なんなら開戦後しばらく放置して、個別講和でCastileに滅ぼされれば後々楽になるとすら思っていた
1544/03 Aragon個別講和(同盟破棄+コア放棄+金銭)
包囲網が広がってきた
あの小さかったNajdちゃんが立派になって…
いつの間にか属国の方が大きくなっていた。Devポチ、借金肩代わり等で独り立ちを宥めている
1546/02 後でKOSTANTINIYYE州(Dev40)をNajdに下賜するために、首都をSELANIK(Dev14)に移転
1546/02 ミッション4-4"Build_Manufactories"達成。獲得した1357ducatsのボーナスはNajd領内の新工場建設に回した
これも達成のタイミングを外してしまっている。条件はもっと早く満たしていたはずなので 直轄領が減る前の国家収入が高かった時期にクリックしていれば、ボーナスもずっと大きかったと思う
包囲網解除戦。ワンプロビ国家に落ちぶれていたHormuzのみ2年後に個別講和(NajdにAWAL州を割譲して滅亡)
1548/02 終戦(敗北)。いずれ売り払う予定だったギリシャ圏の属国解放×3で勘弁してもらった。
1550/01 MUNCHENで"Printing_Press"発生
1554/01 影響アイデア完了。ポリシー"Vassal_Integration_Act"が利用可能に(まだ採択はしない)
Najdになった後スムーズにMughals化できるように、Sindh領が欲しかったため共戦国に指定(Sindhの同盟Kazakhも参戦)
1556/06にOman、1556/11にKazakh、1556/12にAjamとそれぞれ個別講和(いずれも同盟破棄+金銭)
コア化できないことを忘れていた。勿体無い精神が発動してNajdに割譲させたが、テリトリーコアなので併合後にコア消失していた
首都なので割譲扱いになり緑に光っているが、見ての通り不当な請求には該当していない(Timuridsコアのある州なため)
1557年の状況
同盟 France
属国 Najd Timurids Hejaz Portugal Medri_Bahri
次男(Timurids)も親より大きくなった。今回の世界線ではOttomansがおかしな挙動(東欧放置でイベリア勢妨害)をした結果、 Commonwealthが絶好調でMuscovyはRussiaに変態できておらず、一方で新大陸はEnglandの天下になっている。 アジアに目を向けるとMingが健在でインドは寡占が進みつつあり、Malaccaが地域大国として高収入を誇っている
首都移転後しばらくしてから収支が赤字になり始めた。直轄領の減少にも拘らず陸軍部隊を解雇しなかった(独立欲求対策)ので仕方ないと思っていたが、 首都を移転した際に交易首都(SELANIKはRagusaノード)も移ってしまったため、コンスタンティノープルでの徴収が減少して交易収入が低下していた 投了後にSSを確認している時に気付いた。相変わらずのドジっぷりである
1557/07 Mamluksに宣戦布告。敵同盟はDawasir、Funj、Shewa(Yemen裏切り)
1557/09 Dawasir個別講和(外交関係破棄+金銭)
1558/11 Shewa個別講和(Medri_Bahriに1州割譲+同盟破棄+金銭)
1559/01 Funj個別講和(Medri_Bahriに1州割譲で滅亡)
エジプト南西はNajdに割譲→併合後にコア消失(泣)
AfghanistanとLadakhも参戦した
1562/08 終戦。割譲:Transoxiana_5 Afghanistan_4、完全併合:Baluchistan_6 Fars_1 Ladakh_1 Khorasan_6
1564/06 Granadaに宣戦布告。敵同盟はTetouan(Tunis裏切り)
1565/10 終戦。割譲:Granada_5、完全併合:Tetouan_1
Granadaは象牙海岸のBENGUELAに植民していたらしく、Ottomansの植民距離が届かなかったため滅亡を免れた
Franceなんか嫌いだ、Englandに滅ぼされてしまえ~
DawasirとShammerはNajdの主要文化であるBedouin文化なので、国家解放してもNajdのコアは残った 周囲からはOttomansが凌遅刑の最中に見えるだろうが、笞刑による地形の変化も智計のうち
1568/07 KOSTANTINIYYE州をNajdに下賜。独立欲求が20%減少した
1569/12 Medri_Bahriでユダヤの狂信者反乱(8k部隊)発生。前回は失敗したが、自国の国教でなければ問題なく蜂起するらしい。当たり前か
"鼬の最後っ屁ぺ"ともいう
遂に3男(Portugal)にも抜かれてしまった。Top15から陥落した結果、下にスクロールしないとOttomansを表示できなくなり、MingやEnglandが見切れている
現在のNajdのDev合計が1058で必要な外交点が4352点。首都(Dev16)を除いたOttomansのDev合計は257-16=241
その内40程はイベリア・ギリシャ・西アフリカなどNajdに与える予定のない州なので、それらを除いて
Najdに下賜するとNajdのDevは1058+(241-40)=1259となる。ポリシーで20%割り引けるので、最終的な外交併合コストは
4352×(1259/1058)×0.80=4143.0…(点)
なので残りは4143-3733=410(点)
毎月の併合ペースが7点のままならば、5年間で7×12×5=420(点)
計算通りに運べば約5年後に併合完了→属国作成でNajdに交代できる
という訳で借金を連打、その殆どをNajd領の工場建設(5年後完成)に費やした
気付かない間に宗教戦争が終わっていた。プロテスタントが勝利したらしい
No_CBだがNajdになってしまえばOttomansの集めたAEは関係なくなる
今回も無事にブラック企業は解散できたので、同日終戦(金銭のみ)。
最後に一花咲かすことができた
併合完了まで残り1年が近づいたため借金を重ね、1年で完成する建造物に投資した
1577/01 VeniceにATINA州を300ducatsで売却
1577/10 各階級に最後の奉公(君主点献上)を命じ、技術を先行取得
属国作成すると技術は宗主国と同じレベルになる
1577/12 建築完了、VeniceにTIRHALA州を180ducatsで売却
1578/01 ポリシー採択。右端の外交併合進捗が100%に近づくまで領土を下賜
翌月Najd外交併合完了。Najdコアが消失してしまった州(+Najdに下賜しなかったイベリア等の州)は
などで処分した。残った君主点はDevポチで使い切り、国庫に残っていた資金でTimurids等の借金を肩代わりした
その後全属国の軍役代納金を有効化&全ユニット解雇(独立戦争を楽にするため)
そして…
大きすぎる赤ん坊が誕生
5年前の台帳では取得済みアイデアの合計は9しかなかったので、属国作成された瞬間に自動で取得したのだと思う 後程攻撃アイデアを破棄して交易アイデアを取得したが、ただでさえ技術レベルはOttomansと同じで(15.13.15)と外交が遅れており 独立戦後に5属国をOttomansから引き継いだこともあって、長い間外交点不足に悩まされた
前回と違い、本当に腰掛け政体
イクター制の課税政策を選ぶのは属国を手に入れるまで待つことにした
考えるまでもなく独立欲求は凄まじく、"寛大な課税"を選んだため待つ必要などなかった
クルド文化の州を含むエリアをステートに昇格→階級に与えて各君主点を200点回収
邪魔が入らないうちにOttomansに宣戦布告(Ottomansがユニットを作成する前に占領するため、隣接州で傭兵を生産中)
後から思えばどこでも良いので独立支援を頼んでおけば良かった。Ottomansの間にヘイトを貯めておいたので、候補は多かったと思う Ottomans戦はNajdのみで問題ないが、同盟が居ればその後の(宗主国Najdに対する)独立戦争を遅らせることができたかもしれない
一気に国家不穏度が+15されたので(安定度+1→-3で+7、War_Exhautionで+8)、
回収したばかりの統治点・外交点を消費せざるを得なかった
翌月君主の性格が"Cruel"(国家不穏度+2)になって追い打ちされた
有能君主で喜んでいたところに冷や水をかけられた気分だった