総開発度11、砂漠地形の内陸3州、Institution"封建制"すら未受容の部族連合
首都はAL-ARID、即ち"The 乾燥"
オマケと言わんばかりに族長も後継者も無能
Ethiopiaが楽園に思える程の貧しさ
周辺国の初期軍事力は全てNajdより大きいが、大国と隣接していないのが僅かばかりの救いか
宗教特化のNIがなければ関わる機会すら乏しかっただろう
Ottomansと婚姻→翌年同盟
Hormuzと同盟
Dawasir、Shammerをライバル指定
開戦
貴族階級から州没収して反乱発生、Medina軍の相手をしてもらう
敵の各個撃破に成功
2年半後にMedina個別講和
屈辱+2州(貧国なので要塞はすぐ破壊)
→"封建制"受容
Shammer完全併合で終戦
戦後Haasaをライバル指定
すぐDawasirに宣戦布告、敵の同盟はOman+停戦したばかりのMedina
兵力の回復していなかったMedinaは半年で降伏
屈辱(2回目)+Mamluksとの同盟破棄+金銭
首都AL-ARIDを包囲中のDawasir軍に勝利→追いかけて殲滅
Dawasir領を占領してからHormuzに軍事通行権をもらう
→Oman軍がDawasirの首都DAWASIRに移動
→Oman領の2州占領+首都包囲
→Oman個別講和(金銭のみ)
Dawasir完全併合で終戦
戦中に初代族長死亡
(2.2.2)の初期後継者が即位
能力もイマイチだが性格が"強欲"で税収-10%なのが痛い
賠償金とOttomansからの補助金で財政が成り立っている
休むことなくHaasaに宣戦布告
少し前までBaluchistanと同盟していたが、気付いたら孤立していた
SindがBaluchistanと戦争していたので、恐らく講和時に同盟破棄させたのだと思う
2年後終戦
4州+屈辱+金銭
戦後にMushashaライバル指定
Transoxiana+Khorasan+Afghanistan+Sistanの属国連合がTimuridsに独立戦争を仕掛け、優勢だった
運よくTimuridsの属国として残っていたFars領に請求権を捏造できたので開戦
領土を餌にHormuzも誘った
兵力は敵の方が倍近く多かったが、火事場泥棒的にFars領の占領に成功
→2年後Hormuzが白紙講和
→1年後に属国連合とTimuridsが終戦(4国全て独立)
→半年かけて要塞のない州を占領
終戦
5州+金銭
7~8年分の歳入(当時の月収はOttomansからの補助金を含めても3.5~4ducats前後だった)に相当する賠償金を獲得し、
戦後補償を1.8ducats/月ほど受け取るようになった
収入が一気に1.5倍になった計算になるが、それでも収支は赤字だった*1
戦後Khorasan・Afghanistanと同盟
1457年の外交状況
同盟 Ottomans、Hormuz、Khorasan、Afghanistan
戦中にBurgundy継承危機が発生、低地地方はCastileが引き継いだ
Qara_QoyunluがAq_Qoyunlu・Mamluksに攻められ、ライバルMushashaが孤立したため開戦
2年後終戦
5州(要塞のある2州含む)+金銭
続けてAq_Qoyunlu・Mamluksに敗れた直後でボロボロのQara_Qoyunluに宣戦布告
(Mushashaと開戦後にスパイを派遣しておいた)
開戦直後にMothballされていた敵要塞を占領(この後隣州の敵軍に野戦で勝利した)
2年後終戦
6州+金銭
戦中にIberian_Wedding発生、AragonがCastileの同君下位になった
Castileは後にSpain化してからPortugalも同君下位に収め、暫くの間(2世紀ほど)西欧の盟主として君臨することになる
戦後に(3.2.4)の新しい族長即位
前述のとおりMughalsへの変態に失敗したため、ゲーム終了時には
上のような特徴を持つ覇権国家Najdが世界を征服し、未入植地を埋めるためにシベリア植民に勤しむ
という意味不明の状況が発生した
無事*4に文化シフトが完了したので、各エリアを再度ステート化
"強欲"な族長の交代も寄与して、収支が大幅に改善した!!*5
1465年の領土
同盟 Ottomans,Hormuz,Khorasan,Afghanistan