包囲網
OttomansやDelhiも加入していた対琉球包囲網が解散しました。
琉球の軍事力強化やMingとの同盟、
包囲網参加国との関係改善が影響したと思われます。
これ以降包囲網を組まれることはありませんでした。
Delhi戦
包囲網が瓦解したタイミングでDelhiに宣戦布告。
Mingも召還することによりDelhi軍を引きつけさせます。
終戦
ここもAEを気にせず戦勝点MAXまで領土を奪います。
Ottomans入植
全力でアジアの未入植地に入植を行っていましたが、
遂にOttomansの入植が始まってしまいました。
直接対決も時間の問題です。
絶対主義値
可能な限り自治度を下げて絶対主義値を上げました。
琉球の貿易会社の設立が早かった為、自治度を下げられる州が
少なく思っていたより絶対主義値を上げられませんでした。
この戦略の欠点かもしれません。
Global Trade受容
これ以降のInsutitutionは受容に開発が必要ないので楽です。
Fars戦終結
中東エリアにも侵攻しています。
時は来た
Hungary,Austria連合との戦争によって、
Ottomansの人的資源が枯渇しています。
絶好のチャンス到来です。
賽は投げられた
ここから続くOttomansとの長い闘いの始まりです。
この最初の戦争の目的は、
・Ottomansのアジア植民を防ぐよう領土を奪う。
・Ottomansとの停戦期間を設けることによって包囲網形成を阻害する
この2点です。
戦争は相手の同盟国Russiaに対して、こちらはMingをぶつけます。
琉球自体は軍質が弱いためOttomansとの戦闘は行いません。
物量で威嚇して直接の戦闘になることを避けます。
Ottoman領の占領とTunisをボコボコにすることによって
戦勝点を稼いでいきます。
終戦
一定の戦果を得られたところで和平。
これで包囲網の形成を意識することなく周辺国家を潰して行けます。
これ以降はOttomanとの停戦期間を目安に世界征服を行っていきます。
国境確定
アフリカ側のOttomansとの国境が確定しました。
属国Mumluksを作成し、コプトに強制改宗させています。
この国は宗教・統治アイデア持ちなので、とても優秀な属国です。
Qara Qoyunlu宣戦
放置しておくとOttomansの餌食になるだけなので、
こちらで食べておきます。
Mazandaran宣戦
こちらも同じくお先に頂きます。
案の定Qara QoyunluはOttomansにも攻められています。
終戦
中東側もOttomansとの国境を確定させていきます。
これ以上Ottomansが拡張出来ないようにします。
Delhi宣戦
もうMingの召還はいりません。
絶対主義値
ちなみに併合した属国の自治度を下げたりして
絶対主義値を大きく上げています。
終戦
Delhiは高DEVの州が多いので、完全併合はまだまだ先ですが
インド平定がだいぶ進みました。