1695年、イングランドより参戦要請。
ポルトガルが英国の異端を理由として戦争を仕掛ける。
いや、今回はそういうわけにはいかないぞ。敵国の同盟国はフランス、アラゴン、オランダ……そして日本の宿敵、カステラ王国だ
ほほぅ……オランダ、スペイン、ポルトガルと揃っているとなれば前回ほど制海権を維持するのは容易いことではないのぉ……。ここで参戦拒否するというのも手の一つでおじゃるか
ぬかせ阿倍。朕を何者と心得る。ここで逃げてはアジアを守るなどと言う大言壮語、誰が信じようぞ!!
日本は当然参戦を決意。戦力比はほぼ互角。
idea数では負けているものの技術でほぼ追いついた日本軍の真価が試される日がやってきた。
初動が遅れてdelagoa bayを抑えられる。
日本軍は本土防衛をしていた3万7000の兵の輸送を開始。
年が明け1696年5月、オスマントルコより対ロシア戦の同盟参戦要求を受ける。
この段階でヨーロッパ側はハンガリーが13万のポルトガル同盟に蹂躙される始末。むしろこれヨーロッパ大陸側に同盟国いないほうがよかったような……という雰囲気が漂った。
日本軍、delagoa bayを包囲中の1万3000人のカステラ軍に2万2000で突撃をかける。
同時に東南アジアで補足していたカステラ戦艦5を巡回中の戦艦2と貿易船49でリンチ。殲滅完了。
同時に朕は負けたでおじゃ……。技術差は埋まってるし数は倍なのになんで勝てないでおじゃ?
delagoa bayはデザートマウンテンだから防御側圧倒的有利ってことを失念してたぜ…
当然このゲームにも地形の概念があるが、精々山岳地帯で戦ったことしかないプレイヤーは忘れていたのである。
後で調べてデザートマウンテンの防御側補正が3もあることに気付き驚く。そりゃ負けるわ。
敗走中の日本軍。
後続の3万7000を待って反転攻勢をかけるため一旦脱出。
ロシア戦線は兵力差が圧倒的で問題ないようだ。がんばれオスマン。
陛下……カステラはヨーロッパ戦線が余裕だからかこっちに本腰あげてきてるぞ!
兵力2万……3万……4万……5万6000!!
ほほほ、カステラのやつも我が帝国の恐ろしさにやっと気付いたようじゃな!……だが足りぬ、我が帝国を滅ぼしたければその倍は持ってくるでおじゃ!!!
後方からの兵力到着を待っている間にdelagoa bayは陥落。
兵力を輸送してきた敵無敵艦隊を補足した日本海軍竜造寺提督はTranskei沖にて決戦を挑む。
これには勝利した日本。Grand navy idea取得により八八艦隊計画を発動していた日本(注:脳内妄想。そんなイベントはありません)は大幅に戦艦を増やしていたのである。
例え陸戦で負けても制海権を維持していれば日本に負けはないとの判断からである。
しっかりとdelagoa bay周辺のデザートマウンテンを抑えられている日本は反転攻勢を仕掛ける切っ掛けを伺うことになった。
同時にカステラ軍はアフリカの角ともいうべき日本軍領土Majerteenへスワヒリから通行許可をもらい主力を向かわせていた。
日本はその行動を戦艦を使って観測を続ける
まだ時は来ていないでおじゃ……待つでおじゃ……。神君ujiteru候は粘ることで勝機を見出したと聞くでおじゃ……。子孫の朕に出来ないことではないはずでおじゃ……
1698年5月、気付けばイングランドは別に僅かに領土を残していたスコットランドに喧嘩を売ってスウェーデンとも戦いを始めている模様。
大陸にはフランス、ブルガンディといった陸戦王者国家の軍隊が20万弱ひしめく有様。
イングランドが未だに大陸に残している領土は風前の灯火といった状態だろう。
1698年7月、Majerteen隣のMogadi shuにカステラ軍到着。
初戦で敗北した際にここまで逃げていた日本軍歩兵11部隊5000の命運は尽きたかと思われた。
仕方が無いでおじゃ……ここで負けて戦勝点を減らしてイングランドの足を引っ張るくらいなら……
今講和してアフリカのわずかばかりの領土と引き換えであればさほどダメージはないだろうが……しかし……。
敵軍が近づいてきたらMajerteenを焦土化、負けて戦勝点が下がるなら接敵する前に軍を解散せいと真田将軍に伝えるでおじゃ!
実際にここまではプレイヤーの脳裏によぎった出来事である。
Majerteenもデザートマウンテンだったので大軍で抑えられると途中での奪還がきつかった。
その為焦土化して少しでも嫌がらせをしようと考えたのだ。
(使ったことなかったので試してみたいという気持ちも少し)
……陛下、真田将軍は焦土化はやるが解散は拒否。玉砕覚悟でMajerteenに留まるといってきやがった
奴も難儀な男よのぅ……ええぃ、もう少し数を揃えてからやりたかったがここで反撃開始じゃ!!
Teruhitoは2万2000に加えて現地で調達した6000の兵士を加えてスワヒリ領sofalaで後続のカステラ軍1万5000の撃破に成功。5ポイント程度のスコアを確保することに成功する。
戦争から三年、未だどちらも主力を温存しているがハンガリー軍がぼろぼろにされてスコアは圧倒的に不利。
この段階で講和条件を探るが日英同盟の破棄と472Dの賠償金で許してくれるらしい。今までならここで講和をしていたが美しい日本ルールは単独講和も許していなかった。
向こうも日本を離脱させれば背後を気にすることなくイングランドをたたき放題だからな……。陛下を見習って俺も踏ん張るとしようじゃないの
sofalaの後続軍を潰されてカステラ陸軍主力が引き返し始めたぞ!!
真田将軍は玉砕を免れ、その隙に輸送艦を使って脱出。
真田は運よく生き延びたじゃと?……ふんっ、朕は心配なんかしていなかったでおじゃ!奴にはまだまだ働いてもらうから覚悟しろと伝えるでおじゃ!!
日本軍によるInhambane奪還の動きを感知したフランシスコ・コロン将軍率いるカステラ主力4万6000は急いで引き返す。
待ち構える日本帝国皇帝teruhito、増援を迎えその数3万8000。
相変わらず士気はカステラ軍のほうが上のまま。
しかし今度は防御側として地形補正の恩恵を受け……
ぜーはーぜーはー、朕の真の実力を思い知らせてやったでおじゃ!
カステラ軍主力を撃破。
Inhambane会戦は地形に頼ったとはいえようやく同数以上の西洋軍を陸上で打ち破ることが出来た記念すべき一戦となった。
喜望峰目指して反転攻勢をかける日本軍。
フランシスコ・コロン将軍がしつこくやってくるが地形を駆使して撃退。
追撃をかけると逆に地形効果で負けるので殲滅は出来ないが少しずつ前線を押し上げていく。
1700年。戦争5年目にしてついに敵同盟の一角、オランダが白紙和平で脱落。戦勝点では以前として不利だったが日英コンビは驚異的な粘りで戦線を支えていた。
しかしイングランドはついにアイルランドに敵の上陸を許す。
ここが陥落すれば本土に手がかかるのは必然。
確かに崩壊は近づきつつあった。
あの我らが神を信じぬ蛮族共相手にてこずっておるだと!ええい、ワシ自ら出向いて葬り去ってやるわ!!
ここでカステラ王フェリペ1世はフランシス・コロン将軍を解任。日本軍との雌雄を決するべく自ら喜望峰へ赴いた。
王自ら戦地に出向いてくるとは良い心がけでおじゃ!しかし1年遅かったでおじゃるよ!
大帝国の君主二人が玉座を離れ、遥か彼方荒野の砂漠にて合間見える。
規模こそ小さいが皇帝TeruhitoはXhosaの地でFelipeを迎え撃つ。
時代錯誤の聖戦から始まった二国の関係は時代錯誤な王同士の直接対決へと結ばれた。
1701年3月。
戦いの最中、フランスが白紙和平で離脱。
Xhosaの戦いを制した皇帝teruhito。
その敗戦の報を受けてフェリペ王率いるカステラ王国は白紙和平を選択。
それから4ヶ月後
1701年7月、6年に及ぶ激戦が終結。
ついにイングランドはポルトガルに膝を屈した。
その講和内容は厳しいもので、アメリカ中南米のイングランド植民地をポルトガルに割譲、スコットランドのコア地返還、calaisをフランスに割譲、108Dの賠償金を支払うこととなる。
しかしながらその講和条約に日英同盟破棄は含まれておらず、その強固な絆を断ち切ることは戦勝国としても叶わなかった。
そして日本は何も得なかったが西洋国カステラを相手に終戦まで戦い抜いたという自信を手に入れたのである。
自信を手に入れたのであるっと。あの激戦は朕自らしっかりと文章に残して国民に配布するでおじゃ!
何か盛り上がってるところ悪いが、まだ戦争終わってないんだよな
戦力比で圧倒していたので無視していたが、オスマントルコによる対ロシア戦は未だ終わっていなかった。
ロシアの戦力は残り3万とたいしたことなかったが強行軍(force march)を使えた為に逃げ回って包囲中のオスマントルコ軍をぷちぷち潰していたのである。
面倒だったので放置して2年後、ようやく終戦。
オスマントルコはロシアの領土を分担する形で手に入れる。
この戦いでも日本が信用以外の何かを得ることは無かった。
この日本の誇りを守るための戦いがまさかこれだけ大きな恩恵をもたらすとは思わなかったぜ
阿倍が言う日本が得たもの、それは―
1703年、明併合が可能となったことである。
1632年に明と同君連合を結んでいたので併合できるようになる50年をとっくに過ぎていたのだが日本にはそれが叶わなかった。
(3)同君連合の利点
どんな巨大な国でも結べる。
と同君連合の説明で述べていたが、実際問題結んでから巨大帝国を併合するとなるとopinion+190の壁がなかなか乗り越えられないのである。
当然50年の間に代替わりをしているので婚姻による補正は消えている。
巨大帝国同士なのでcompeting great power(競争している強国)で-25。
何らかのclaimを持っていてマイナスを受ける。
しかも質はひどいのに数だけ多い軍隊により、上位構成国より俺のほうが強いぜ補正で-10。
外交改善で+200にして更に金を送って+25にしても合計+170~+180どまりでどうしても手が届かない。そんなもどかしい状態が20年も続いていた。
それがこの戦争により明はロシアの凍土に大軍を送って消耗。兵と人的資源が壊滅していた。
これにより俺のほうが強いぜ補正が消える。
戦争中に明領土で戦争疲弊による反乱がやたら起きていたのはこれが原因である。
更に明国内の反乱軍を日本軍が潰したので感謝補正を手に入れることに成功。
これによりついに+190を越えることができた。
周を先に併合完了
1710年、ついに明を併合完了
teruhitoの日本帝国及び明帝国及び満州皇帝という長ったらしい称号は一つ減ったのである。
宗教同一性が100%から53%まで減る
併合した次の月にはHan文化の許容が完了
戦争を続けて拡張してきたオスマン帝国を抜き、拡張戦争をほとんどしなかった日本が収入1位の大国に躍り出る。
明領土の生産物、税収、競争相手が減ったことによる貿易独占の効果は莫大なものだった。
その他にも中国陶器の生産がトップになったことでアドバイザーコストが1/3になり支出も減る
陸軍の数は世界2位、人的資源はマックスなら世界4位となる。
今度はカステラ王国がイングランドに異端を理由とした宣戦布告。
また日本に参戦要請がやってくる。
日本は当然これを受諾。
1712年、第2次イギリス異端戦争開幕。
朕がimagawa>JAPAN>JAPAN&ming>SUPER JAPANと進化しておる間、イベリアンウェディングも起きず、万年カステラのままの主
だ、だって今回はカステラlucky nationじゃないんだもん!
ほほぅ……朕であればCK時代でイベリア3兄弟をまとめてスペインとなっておったじゃろうなぁ…
更にいいことを教えてやろう……”朕はまだ変身を3回残しておる”とな!
前回の戦争経験を元に日本はdelagoa bayにマーチを設置。入念に戦争準備を整えていた為、難なくカステラ軍を撃破して喜望峰制圧を開始。
30隻から総数50隻に戦艦を増やした帝国海軍は西から来るであろう無敵(笑)海軍を待ち受ける。
画像内の赤い矢印のルートで通過できたのを知らずあっさり逃がしました。
東南アジアまで追いかけてやっと補足。
naval ideaコンプ間近の海軍なので士気差は歴然としている。
帝国海軍(明らかにプレイヤー)が失態を犯してカステラ海軍を追跡している間、ポルトガル海軍が悠々と喜望峰を通過。
右にいる日本海軍の船は輸送船なので港に逃げる。
そしてポルトガル領土セイロン島に兵士を下ろしたところで捕捉。
ここで始めて「アジアを守る(キリッ)」と言っておきながらセイロン島がポルトガル領になっていることに気付く失態ぶり。
今までの轍を踏まないよう、念のために地形をチェックしているところ。このプレイで少し賢くなりました。
喜望峰制圧完了と同時期にセイロン島攻略作戦開始。
負けて3万5000の兵消滅。
明を併合してからマンパワーに余裕が出てプレイが大分雑になってきていることがわかる一幕である。
慢心ダメ、絶対!
第2陣で敵防衛軍を壊滅させて包囲開始。
戦況。戦勝点では負けているが前回とは違いまだ余裕。
何故ならスペイン領土が横から沸いてでたオスマントルコ軍に蹂躙されていたからである。
セイロン島攻略完了と同時に艦隊決戦へ。
東南アジア貿易艦隊も動員したのに殲滅しきれずまた取りのがすことに
(5/5/6)の皇帝teruhito死去。
その類稀なる資質により西洋文明の技術を抜き、明の併合を成功させた力量は今川日本中興の祖といえよう。
次期君主Yasuhito様は平凡な能力だ。しかしここまで成長したこの国はどのような君主が来ても支えられるだけの国力を手にしたから問題はないぜ
そして次期君主は今川日本史上初の女帝Okikoである。
日本貿易艦隊も追加導入してもう一回艦隊決戦を挑み、今度こそ壊滅。
ポルトガル、スペインの両国は輸送船を全て失い日本との継戦能力を喪失する。
朕は父上ほど義理堅くないでおじゃ。ここまでやればイングランドとの義理は果たしたといっても差し支えは無いのでおじゃ
この段階で日本は観戦モードに突入。
ぼけーっとしていたら輸送船2隻だけで残りの艦隊を送り込んでくるポルトガル。
当然帝国海軍の餌食となり、海の藻屑となった。
ここでカステラもたまらず日本軍に白紙和平で脱退してくれるように要請。
単独和平はけしてしない。
その方針だけは律儀に守って拒否。
1719年、日本海軍に全ての船を海に沈められイングランド上陸は不可能と判断したのか白紙和平で戦争終結。
もはやこれ以降はカステラに対し日本の優勢が揺らぐことは無かった。
日本はもはや単独でカステラに対抗できると判断し、余計な戦争に巻き込まれるのを嫌って日英同盟を解消。
1664年から57年続いた日英同盟は1721年に終了。
当然opinionは下がったが今までの関係から外交態度が変わることは無かった。
1724年、カステラ王国はまたイングランドに宣戦布告。
もはや日本には関係ないがよほど異端がおきに召さないらしい。
気付いたら婚姻関係にあったorissa王国の君主がimagawa姓になっているではないか。
日本の繁殖力恐るべし。
1729年、オスマンからの対ロシア参戦要請がまたやってくる。
士気、規律、兵数、戦訓の全てが勝っている日本陸軍が負けるはずもなく。
三年で終了。結果は言うまでもなく日本トルコ連合軍の圧勝だったがさすがにトルコが東に出張りすぎと日本は危機感を抱いた。
1732年、ロシアに接地しても問題ないと判断し満州併合開始。
1733年、日本はorrisaに対しclaim throneを使う。
同時に相手がimagawa姓であることから継承戦争の開戦理由を手に入れる。
これはまた同君連合の例を引くなら
(ⅲ)対象国の君主が同姓で正統性(legitimacy)が低い場合。
Claim Throneをすると手に入る宣戦理由(継承戦争)をもとに戦争して同君連合を強要する。
に当たる。
つまりこのプレイでは結果として同君連合を結べる例を一通りこなしたということになった。
領土の主張ではなく王位の主張であるから美しい国ルールには抵触しないでおじゃ!
もはや美しい国(笑)である。
技術最先端を走る日本陸軍が触れれば消滅する勢いでorissa軍を殲滅。
1735年にはorissaも日本と同君連合を結ぶこととなった。
日本がオスマンの東部拡張をこれ以上手伝う必要はないと考え1737年日土同盟を解消。
また栄光ある孤立への道を歩き出す。
yasuhito死去。今川日本初めての女帝okiko誕生。
1743年、満州併合完了。
これによりペキン周辺の貿易も日本が独占することとなる。
もはや日本の前に敵はおらず、戦力差から外国から戦争を仕掛けられることはなくなった。基本的にこちらから仕掛けない以上戦争は絶えたのである。
有り余る富は常時陸軍士気をマックスにして大陸領土全てに工場を建ててもまだ余る状態。
ここから先は何をしても覇者の戯れである。
AAR読者の楽しめるような特筆するべき出来事もないだろう。
その為1743年、日本による満州併合を持って当AARは筆を置く事とする。
神を騙る者達の饗宴 ~完~
格好良く言って占めようとしてますが実際はこの年代で覇者と言えるほど優位性を持っているわけでは有りませんし戦争が絶えたわけではありません。
そして筆を置くといいつつも残りの年代を個人的面白シーン抜粋でお送りする次回「世界一の弓取りへ&あとがき」が当AARの最終回となります。