≪Great Britain≫
どうやら、植民地利権はSpainと折り合いをつけて北米の半分以上を領有する事を許してもらえたようだ。
北米の東海岸だけでも南米すべて足してもはるかに上回る量の富が流れ込んで来る上に
現地のBase Taxは高くて軍隊も強いという特性を持って居るので、Great Britain的にはかなり譲歩を勝ち取ったと言えるだろう。
≪Spain≫
北米利権の半分以上をGreat Britainに譲ったものの
アフリカ沿岸やその他植民地域をほぼ独占状態に置いている。
貿易収入が膨れ上がる1600年以降には、今まで確保してきた植民地が国力を爆あげする形になるだろう。
既にPortugalは属国済みなのだが
思うように植民をしてくれず苛立ちを隠せない様子であった。
≪Brandenburg≫
Scandinaviaが同君下位に収めたBavariaを巡って議論を重ねてきたようなのだが
遂に武力行使で奪い取る事を決めたようだ。
東西南北すべてプレイヤー国家で進路が無い現状では、多少の手荒な真似も致し方ない。
ある時、都合がついたベテランマルチプレイヤーがフラっとマルチ会場に現れた。
セーブを見せて欲しいとの事で、ホストが手渡すとその人物はとんでもない火の粉を撒き散らして去って行った。
どうも、正教化したPolandを見てRussiaを食ったり中央アジアへ進出する夢を見ていらっしゃる様子であるが
そんな事する気があれば100年前に王手がかかってた時点でやっていた。
これを聞いた他国が「Russiaさん、Polandに気を付けた方が良い。」「Russiaさんが食うべき領土はPolandにある。」等と
詮を抜いて溢れ出てきたソーダ水の如く煽り立てる。
一般聴衆が「RussiaはPolandの属国」と本人に失礼なんじゃないかと思えるような揶揄を飛ばす一方で
Poland=Russia間は今に至るまでポツポツ会話を交わすだけで、そこまで密接にリンクを取り合っている訳ではなかった。
この話を後年に別のプレイヤーに告げた所「嘘www」と酷い驚きっぷりを見せられたが
外見からは飯を食う間柄だと思われていたようだ。 いささか驚きである。
ある時、急にOttomans/Netherlands/Polandの会議チャットが作られた。
どうも先方のOttomansも突然放り込まれたようで、事態が把握できていない様子であった。
急に集められた上に無計画すぎて吹き出しかけた。
どうも、EU成立直後にOttomans攻めを提唱した件について話だしたいようなのだが
謝るわけでもなく、何を語るわけでもなく時間が過ぎて行った。
その後も...。
こうした謎の会話が数十分続き、不毛過ぎるので話題を変える事にした。
筆者はこの時TraditionとPrestigeの入手方法について研究しており
その中間成果をあえてここで発表したのだ。
・最初にぶつかった軍比率により計算される。 ・援軍が到着しても計算式には影響を及ぼさない。 ・軍の質は加味されるようであるが不明 ・戦闘期間が長いと累積されていく (軍の優劣比率+両軍の質の差)×戦闘日数=入手Tradition・Pristige数
筆者はよくこの手の研究に没頭している。
実験を重ねるうちに、実はこの理論は間違っていることが発覚し
後年、遂にその入手方法が判明するのであった。
収入が全13プレイヤー中10位という国の面積と釣り合っていない様相を呈しているPolandは
拡張も出来ず内政も出来ず、唯ひたすら時間が過ぎるのを待つ日々を送っていた。
ふと、VCで「ド、ドコカ戦争アルナラ混ゼテ欲シイ。」とつぶやいてみた所...。
願ってもない提案であった。
HindustanやOttomansに頼んで一緒にAI国家を殴らせて貰えるよう頼むという選択肢もあったのだが
やはり遠方に出征するというのはなかなか億劫で、近場でやるのが気持ち的にも楽なのだ。
それに、"アレ"を試すにも良い機会である。
その後も湧き続けるSwitzerlandとその同盟軍だが、さすがに底なしともいかず
湧く数も陰りを見せた所で順次占領して講和を行ったようだ。
安い漫画やB級ハリウッド映画なら手を取り合って共闘をした後、和解をするという展開なのだろうが
このマルチにしてそんなジュブナイル要素は皆無なのが悲しい所である。
上での述べた通り、ここで触れられたTraditionとPrestigeの稼ぐ方法は実は間違っており
同時に満たしていた別の条件がトリガーとなって稼げていたに過ぎなかった。
遂にBavariaを巡るHRE vs Scandinaviaの戦争の火蓋が切って落とされた。
と言っても、実際に動くのはBrandenburgだけなのだが
このプレイヤーはマルチメンバーの中で筆者が思う所の2番目の戦争センス(1番はSpain)の持ち主なので
多少の国力差なら心配は無用である。
この時のBurandenburgはほとんどのNIとMil系Ideaをコンプしていたので
軍の質に於いては無類の強さを誇っていた。
その雄姿をSSに撮りとめようとは思っていたものの、上の項のNetherlandsと戯れて居たのとほぼ同時に行われていた為
二人でバカ騒ぎしていた記録しか残っていなかった。 いや、申し訳ない。
結果はBrandenburgの大勝利で、Bavaria領の半分以上を割譲させたようだ。
当初、Ottomans/Hindustan/Poland/Russiaで構成されていた対Ming包囲網は
勧誘によってAustria/Brandenburg/Franceが合流。
遅れてCeylonを巡って対立したSpainが加わり、構成国は合計8ヵ国となっていた。
しかし、実際にMingが見えていたのが前記の通りOttomans/Hindustan/Poland/Russiaだけであった事から
領内に攻め入る戦力に変動は無かった。
西洋化前に討つ算段が崩れ、もしかするとPolandは雨男ならぬ延期男の可能性があるのではないかと疑惑を抱いており
MingのMil Lvが12(この時点では10 Lv)に到達する前に殴ろうという主戦論を、誰かが取りまとめて攻め入る作戦を組むのを
見守っていた...のだが、誰一人として対Ming戦について主導しようとはしなかった。
Hindustanの言う条約の破棄というのは、内容について尋ね勝ったが恐らくMingとのものだろう。
Franceが「Hindustan領は見えないなぁ」と発言し
Ottomansが「やはり、延期した方が良いのでは?」と進言した事から一旦は中止を言い渡す。
しかし、西洋化後のMingのMil Lvが思った以上に低かったので
すぐさまGOサインを言い直し「Poland/Russia/Hindustanでやれるだけやりますか。」と決行を言い渡した。
Poland本土に残っていた60kをHindustanに運び込み、総勢120kの軍団を率いた出征が行われようとしていた。
高まる闘志がVCで失言に繋がらないよう気を払いつつ、その時が来るのを待ち侘びた。
しかし、延期男のパワーは予想をはるかに超える形で姿を現した。
~Russiaから同盟参戦が寄せられました~
Timurids/Uzbekとの行軍権により安定度-5
同盟参戦のSSを紛失してしまい残っていないので事の経緯だけを触れる事にする。
Polandは、Hindustanに向かうに当たって遊牧国家から行軍権を得ていた。
移動完了から間もない事もあって行軍権は切っておらず
そこにRussiaが同盟参戦を送ってきたことがコンボになり、同盟を一旦切る事になってしまった。
OttomansやHindustanにも同様の参戦要請が送られてきており
Ottomansはペナルティが無かった事で参戦したものの、宣戦盟主(Claim持ち)予定のHindustanとRussiaの同盟が切れてしまった。
この事で宣戦を大幅に延期せざるを得なくなってしまった。
RussiaがUzbekに攻め入るにあたって、痩せた土地に万単位で占領を行っていたのが見えたのか
Mingが「Russiaさん、占領する時は軍を小分けにした方がいいですよ」と助言をしていた。
つい100年前に「そんな細かいアドバイスしなくてもいいでしょう」等と言っていた本人が
同じシチュエーションで助言するとはなかなかの皮肉である。
依然としてデススタックを積んだまま占領を続けるRussiaに対して助言をし続けるも
Russiaはまったく聞こえていないのか、ただ只管消耗を受けながら占領を行い、Mingはやきもしていた。
Uzbek戦についてはもう一波乱用意されていた。
というのも、Mingプレイヤ―が1:1チャットでRussiaに抗議を始めたようなのだ。
Russiaが伝えてきたところによると、以下の要求が寄せられたと言う。
・MingにIrteshを売却 ・RussiaはUzbekからChelyaba・Bayuly・Tyumen以外を取ってはならない
Mingからの要求を突っぱねた所、今度はIrteshをBaseTax×200Dで買い取ると言われたようだが
どう見ても安すぎるこの案に対し包囲網国家全員から飲んではならないと勧められ
結局提案を蹴ったようである。
Ottomansも背中を押すにあたってRussiaに大軍を派遣し
有事の際には即戦線に加われるように、着々と配置を済ませていた。
「あれ、Ming=Ottomans間の不可侵条約は大丈夫なのかな...?」と思ったりもしたが
考える暇もなく、今度は事前通告無しに取った事について謝罪を求め始めたようだ。
あまりに強気発言の数々に包囲網チャットではMingに対する悪評が蓄積されていき
軍の派遣には消極的だったSpainとFranceが参戦方法に尋ねて来るなど、介入に本腰を入れ始めた。
チャンスと見て、今度はRussiaとHindustanの戦争が終わり次第攻め込む事を提案しようと考えた。
SpainやFranceからすればMingにそこまで拘る意味が無い以上
Mingへのヘイトを利用した一時の熱狂による連合体制以外に直接的関わりを持たせる事は難しく
時と共に熱は冷め、Mingと手を結ぶ可能性が高まってしまうのだ。
しかし、RussiaがUzbekとの講和に際してガッツリ割譲させたことが
Mingプレイヤーの逆鱗に触れてしまい猛抗議が寄せられた。
更にRussiaでは講和と同時に、Uzbek戦で消耗しきった事がトリガーとなり農民反乱が巻き起こってしまった。
今は武力対決よりも対話による牽制が賢明と考えたのか
Ottomansは万全な侵攻計画が整っていないとし、延期を申し出た。
この時Polandが強行論を主張し、Mingと戦争状態に突入していれば
どの様な未来が待っていたのだろう。
結局のところ、Ottomansの静止を素直に受け入れ、対Ming戦は3度目の延期を余儀なくされる事となった。
公開VCでは、MingがRussiaのUzbek領割譲について抗議を行っていた。
どうもSamarkandトレードノードに侵入した事が引き金となり
かなりお怒りの様子であった。
各国間で約束が交わされていたらしいのだが
Polandを含めた取り巻きはサッパリ分からない様子で、ただ事を見守るほかなかった。
HindustanとMing間で同盟が結ばれた事でHindustan領内のPoland軍は可視状態となってしまった。
宣戦布告する配置に着いたとしばらく前に連絡はあったのだが
Mingとの国境に大量の軍を配置し可視状態になっていたようで、猛烈な抗議が寄せられていた。
マルチに於いては国境に軍を置く=殺る気という意思表示に繋がる場合が多く
この緊迫時にそうした行動をとってしまったRussiaは軽率と言えた。
この時、RussiaのVCがバグってしまっており、更にはチャットでも応答しない事から
Mingプレイヤーの怒りのボルテージがぐんぐん上昇して行った。
だが、MingがUzbek領へ侵攻を開始したその時、怒りは一気に戸惑いの声に変わった。
有事に備えてOttomansが派遣した軍団は、RussiaとUzbekとの国境線に配置されており
内地へ隠すより早くMing軍が現地に到着してしまったのだ。
まったくもって説得力の無い弁解に思わず吹き出してしまったが、Ottomansの姿を目にしてか
先ほどまでのMingの気迫はどこへ飛んで行ったのかと思えるほど沈静化していった。
RussiaとMing間の1:1チャットはその後も続いているようで
「なんでRussia領にOttomansが居るの?」「ライバルを外してくれない?」「なんでKazanを攻めないの?」等と
凄まじい勢いで質問攻めにあっているようであった。
この時、RussiaプレイヤーがMingとの1:1会話を包囲網チャットに逐一報告し
Ottomansを含めた包囲網国がどう返事を返すべきか指示を飛ばしていたのだ。
一方で、Uzbekを放置しておけばRussiaがすべて持って行きかねないと考えたのか
MingはOver Extentionを覚悟で相当数のプロビを割譲させた。
しかし、この時Mingは重大なミスを犯してしまう。
というのも、勢い余ってUzbekからAstrakhanトレード領域のプロビを割譲させてしまい
以前交わされていたOttomansとの協約に違反してしまったのだ。
Ottomansは対Ming戦の戦列に加わるに当たり、先に約束を破った事を理由とし
不可侵条約破棄を1:1チャットで言い渡したようだ。
効果は直ぐに現れた。
Ming側はOttomansとの不可侵があるから戦闘行為には至らないと思っていたようなのだが
ここへ来て条約の破棄を宣告されてしまい、かなり焦っていた様子である。
おまけにUzbekから割譲させた地域は陸続きではない為に、Ottomansに割譲すら叶わない状態にあり
即刻変換して誤解を解こうにもそれは出来なかった。
思いとは逆行する展開にMingプレイヤーの発言からは徐々に余裕が消えて行き
Russiaへの抗議したい気持ちとOttomansに誤解だと説明したいけど出来ない気持ちが融合してなのか
敬語とタメ語と舌打ちの絶妙なハーモニーが奏でられた。
完全に部外者だったNetherlandsは事態をまったく呑み込めていない様子で
「え...Mingさん何に怒ってるの?っていうか、何言ってるの?」と絶妙なツッコミを入れていた。
包囲網チャットでは、先ほどまでの強気発言とは打って変わって
予想外の取り乱し方を見せたMingに対して、もはや反応を楽しむ観戦会場と化していた。
しかし、Ottomansこの段階に至って尚も武力介入には消極的で対話を行う姿勢を崩さなかった。
Mingがあれ程にまでRussiaに抗議をしたのには、ある条約の存在が背景にあった。
MingはRussiaがKazanノードに独占的に植民するのを認める RussiaはMingがKazan以東のシベリアに独占的に植民するのを認める 上2項をふまえた上で100年間RussiaとMingは互いに交戦してはならない 両国はチンギス裔諸侯の歴史を尊重し、降伏後地位を保全する
いつ組まれたかについては、肝心のRussiaプレイヤーが忘れてしまっていたので分からず終いであったが
言い合いの後になってこんな不平等条約を結んでいた事を聞いた時はギョっとした。
しかし、以前の対Muscovy包囲網条文と同じで今回の条約にも大切な事が記載されていない。
1行・2行目は植民についての保障であり、その後の処し方については抜け落ちている。
植民自体は許すけど、その後殴って取り返そうとする事自体は条約外になってしまう。
3行目の100年間の不可侵が、武力による奪還を未然に防ぐ役割を果たすはずではあったのだが
いつからいつまで(例:1500年~1600年)といった形で記載しない事には悪用も出来れば抜け穴にもなりかねない。
意図的に3行目の年代を書かなかったという事も考えられるが、本意はMing自身しか分からない。
MingプレイヤーがSamarkandトレードノードに手を出すなと発言していたので
てっきりこの条約に記載されているのかと思ったのだが、どうもそうした項目は存在せず
あれほどまで抗議の姿勢を見せていたのは勘違いからきたもののようだ。
後に、Mingと会談したOttomansから聞いた話によると、MingはRussiaとの条約を正確に把握しておらず
条約内にSamarkandトレードノードの領有をRussiaに承認させたと思っていたらしい。
とはいえ、Mingプレイヤーが言うように事前通告なしに取る事は
相手国への敵対行為として取られても仕方ない事なので、自国の利益を守るために威嚇しようと考えたのかもしれない。
以前、Spain=Hindustan間で結ばれたCeylon割譲条約がついに施行される時が来た。
【Ceylon島条約】 ・HindustanはSpainがCeylon島を所持することを認める。 ・SpainはCeylon trade nodeに商人を配置しない。
Ceylonを手に入れた事でHindustanは晴れて西欧化を開始する事が出来るようになった。
西洋化に差し当たりHindustan領内の反乱率は上昇し、それをMing軍がいそいそと潰して回っていた。
これでHindustanの好感を得て友好的に接する事が出来ると信じて止まない感じではあったが
自体はそう思い通りには運ばないというのが現実世界というやつだ。
対Ming戦に向けてOttomansがついに表立った行動を始めた。
それも、Great Britainを伴ってである。
敢えてこんな事を表明した背景には、OttomansとMingの間で何か会談がなされたからなのかもしれない。
Great Britainが歩調を合わせたのはやや意外であったが
先の英蘭戦争時に支援を受けた恩を返そうとしているのだろうと考察していた。
今回のマルチは人数が多い影響で日程調整が難しく
全員が揃う日にプレイするには2週間後にせざるを得ないという状況が多々あった。
対Ming戦を目前に控えた状態で、今度はRussiaプレイヤーがしばらくプレイに参加出来ないと言い渡してきた。
これを受けて...。
本来ならば、SpainがMingを攻める意味はまったく持ってないはずである。
Spainが対Ming戦に賛同したのはCaylon割譲時に喧嘩を売られたからに過ぎず
その熱さえ覚めてしまえば、もはや目を向ける事すらあり得ないのだ。
しばらくして、今度はSpainが作成したSpain/Ottomans/Poland/Brandenburg/Scandinaviaの5ヵ国での会議にて、ある提案がなされた。
EU解体を巡っては、Ottomans主導の解体包囲網が組まれ、そこにはSpainも加わる予定であった。
SpainがOttomansがEU解体を目指して行動する意欲がまだあると考え
海戦までの道筋がはっきりしない対Ming戦よりも、今はOttomansを欧州戦争に引きずり込みたいと考えたのだろう。
しかし、ある一言がPolandの身を凍りつかせた。
Poland視点では、OttomansとGreat Britainは歩調を合わせて友好関係を築いているように見えていた。
もし、SpainがGreat Britainを攻めるとなるとOttomansは黙っているはずが無く
確実に敵同士になると考え、一つ忠告しておくことにした。
Great Britainを突いたらOttomansが着いてくるとは思っていなかったようで
すぐさま五ヵ国チャットの方で言い直した。
すると、今度はOttomansからGreat Britainが狙われている件について1:1で問い合わせがあった。
実際問題、Spain側からすれば死活問題にも関わらず待ったを掛けられるのはたまったもんじゃないとは思う。
当然の反応ではあるが、SpainはOttomansの静止を無視する姿勢を見せた。
Great BritainとNetehrlands側から一方的な要求を突き付けられ
今更問題を放置する訳にも行かないのだろう。
何故Spainが動こうとしているのか、今一Ottomansが呑み込めていない反応が目立ったので
念の為に理由と思しきものを伝えておくことにした。
この時、後手後手回ろうとするOttomansの対応を目にしてか、SpainはOttomansと手を切ってMingと同盟を結ぶ話をPolandに振ってきた。
一応は止めたものの、Spainの目標達成意思は固いように見えたので
もはや、対Ming包囲網は長くは持たないと直感的に判断した。
SpainがMingと条約を結ばせないor結ぶまでの時間を稼ぐためにも
どうにかOttomans自身が動き直ぐにでも戦端が開ける態勢にある事をアピールする必要があると結論づけた。
理由は、SpainはMingの領土が見えて無いため連携が難しく
Ottomansが即座に軍を動かしMingを叩くともなれば、Spainを止む無く断念せざるを得ない状況に追い込む事が出来ると考えたからだ。
既にOttomansはMingとの不可侵条約を破棄していたようなので、Spainの不穏な動きを未然に防ぐ為
そして、最後の好機を逃さんとしている事を伝えた所、遂に決意を固めたようだ。
対Ming包囲網チャット
その後、不在のRussia抜きで対Ming戦を如何にして行うかについて方針決定がなされたが
もしこの時にOttomansが決心していなければ、恐らくは対Ming包囲網は終わりを迎えていたと思う。
もしもSpainが予想よりも早くMing側に付く算段を立てていた場合を想定して、一応の戦略は立てていた。
SpainがMing側に付くという事は、FranceとNetherlandsが何らかの理由で言い包められ敵に回る可能性がある。
あまり長文で細かく触れる程の価値があるかと言えば無いので、他国のアナライズは割愛しようと思う。
最悪のケースを想定した場合はMing側はMing/Malaya/Spain/France/Netherlands
Ottomans側はOttomans/Poland/Brandenburg/Scandinavia/Austria/Great Britainといった具合になると予想される。
こちらが中央で分断している以上、どちらか一方を集中攻撃した後反転して残りを殲滅すればいいだけで
戦力上は相手方が有利ではあるが戦略的に優位に立っていても過言ではなかった。
相手に片一方を捨てて全軍を集結させれるだけの求心力と決断力を持つ人間が居るとするならば話は別だが
筆者の見立てではグループワークに特化した人物は居ないように見えた。
後年、筆者が予想した構図と全く同じ対立軸で戦端が開かれる事になるが
結果の程はその時のお楽しみとでも言っておこうと思う。
Ottomansからのチャットを受け取り、Mingは切迫した状況を把握したようだ。
苦境を乗り切るためにMingはNeterlandsのみならず、今度はRussiaとScandinaviaにチャットを送ったようだ。
Russiaはこの時ライブ中継よろしくのチャット会話を実況中継しており
Mingとの会話内容が対Ming包囲網チャットにだだ漏れであった。
どうも、MingはRussiaに対してTradeについて熱弁を振い
その内容が「White Sea/Novgorod両Trade Nodeを確保した方が良い」と、耳を疑うような貿易戦略を説いていたようなのだ。
何故両Trade Nodeの確保する事が重要ではないかは割愛するが、Mingが目指しているのはScandicaviaやPolandの上流二ヵ国へ
侵略欲をかき立てようとしている事は誰が見てもはっきりと分かるレベルであった。
その後も「Uzbekを取るとOver Extentionが酷いので止した方が良い。」「シベリアも膨大なCoreコストとOverExtentionが酷いからNovgord Trade Nodeを確保しよう。」
「SamarkandをRussiaさんが取った時に異論を唱えた理由がもうお分かりのはず。」等と説得を図り
最終的に「MingはSmarkand Trade NodeをRussiaはNovgord Trade Nodeを独占しよう。」と結論ようなのだ。
これには"鬼畜外交初心者殺しの狂犬クソゲス"と自嘲している某プレイヤーも真っ青である。
中々首を縦に振らないRussiaに対してMingは必死の説得を行うも
いささか居心地が悪いと感じていたRussiaプレイヤーが食事を理由に退席をしようとした。
すると、Mingも掴んで離さず「どれ位時間が掛かりますか?」と出待ち調査もビックリの反応を見せた。
なかなか良い返事を返さないRussiaに遂にいら立ちを隠せなくなったのか
不可侵条約を破棄されたOttomansを巻き込んだMing/Russia/Ottomansの3者面談が開催されることになった。
Mingとしては最後の交渉となりかねないので、どうにかOttomansもろともRussiaを中立以上の関係で推移させたいといった所なのだろう。
Ottomansの好意で、会談の内容を対Ming包囲網チャットで可能な限り中継してくれることになった。
詳しい内容についてはOttomans AARの危機と克服を見て頂いた方が早いと思う。
この時、RussiaのイニシアティブはOttomansが握っている様子であった。
というのも、MingがSamarkandを独占したいと話し譲るよう求めてきたときも
対Ming包囲網チャットでは「無いって言って!」とセリフを考案して指導する姿が見受けられた。
実際にRussiaが文面通りに発したかはともかく、Mingからの譲歩案はすべて蹴った様子であった。
MingがScandinaviaとRussiaが争うべきであると持ちかけた際は
OttomansがRussiaプレイヤーに未練が無い旨伝えるよう背中を押し、その様はなかなかに滑稽であった。
ここへ至ってMingも包囲網の存在を薄々感じてきているような発言し
対Ming包囲網チャットでは「もう公開すべきでは?」という声も見られたが
今は公開せずぼんやりとした存在をチラつかせるにとどまったようだ。
3者面談の場において、MingはOttomansとRussiaから譲歩や諸条約を結ぶ事が出来ず
終始やきもきしていた様子であったという。
交渉が決裂し、戦火ののろしが挙がらんとした雰囲気の中
もし戦争状態に突入すれば、溢れんばかりに保有する資金を使い徹底抗戦・復讐戦を行うと脅かし会議は終了した。
会談終了後、Mingは最後の砦と成り得るHindustanとの外交関係樹立を目指した。
Ottomansとの交渉が不意に終わり、時間経過による地位悪化より自国防衛手段を練ろうと考えたのであろう。
しばらくして、全体チャットに公開条約が発布された。
Hindustan・Ming・Malaya三国間の条約 Hindustan(以下印)、Ming(以下中)、Malaya(マ)は東アジア地域における恒久的な平和のため相互に提携し、かつ協力する。その実現のため以下の様に協定する。 1.中マは印のインド地域における独占支配を保証する。 2.印中はマのインドネシア・シャム・オセアニアにおける独占支配を保証する。 3.印マは中の中国地域における独占支配を保証する。 4.印中マは三締結国いずれかがプレイヤー国家による攻撃を受けた際に、相互に軍事的方法を含むあらゆる手段を持って援助する。 5.プレイヤー国家によって三締結国いずれかの安全を著しく害する事態が起きた際、三締結国は共同して抗議する。
これを見たときはギョっとしたが、すぐさまHindustanが待ったを掛けた。
どうも、以前Hindustanが言っていたMingとの条約をMingが公開して
強制力を伴う枠組みに発展させようと計ったようなのだが、それは一瞬にして破綻してしまった。
MingとOttomansの対立が表面化したのを受けて、ある国からチャットが飛んできた。
Hindustanに軍が居る事を知っている、Mingが侵略を危惧してNetherlandsに打診した事がモロバレである。
とはいえ、現状況でMing側に付いたところで
有事の際には周囲360度敵だらけになる事を本人は分かった上でやっているのだろうか...。
実際問題、西洋化前or西洋化中or西洋化直後を逃した事で
その広大な国土を占領して回る意欲は失せており、本当のところやる気は限りなく低下しつつあったのだ。
NetherlandsがFranceを再度狙わせようとした背景には
旧西欧憲章vsHREで殴り合わせてシーソーゲームを繰り広げさせ
自身の生存権と双方から利益を得ようとしている事があると考えた。 (実際に序盤でそう言ってた。)
そんな見え見えの釣り針に食いつく訳もなく、ただボケェーとポンポン振られる話を聞き流していると
今度はMingとOttomansの対立を橋渡りし資金を稼ごうという話を持ちかけてきた。
この手の悪行は最も嫌う所だったので、適当に話を流すことにした。
話によると、Ming/Ottomans/Hindustanからそれぞれ5000D/3000D/2000Dを受け取り
最後に上乗せで支払う国に付くつもりでいるから、Polandも一緒にやろうというのだ。
対Ming包囲網チャットでは「Netherlandsさんから3000Dで介入しないという約束を持ちかけられました」とOttomansが発言し
Hindsutanもそれに続いていたので「それは裏切るかもしらないからやめておいた方が良い」と指摘しておいた。
不介入を謳っておきながらNetehrlandsが介入したとなれば、大義名分として殴る事が出来るとして支払う方針で固めたようだ。
Netherlandsの次は、Mingから会話が飛んできた。
Hindustan領内に居るPoland軍が脅威に思ったらしく、撤兵を申し込んできたのだ。
Hindustanからの撤兵を求められたが
お隣のTimuridsに居てはならないとは言われなかったのでそちらに移動するつもりでいた。
しかし、どうもMingはOttomansとPolandの歩調を乱して
Polandを不戦戦にしたいようで、自分の軍を誇り始めた。
この時Polandの威信は-33と残念な状況にあり、実際のMoralは4.1で6.1なんてとんでもない話であった。
しかし、同時にMingの士気が5.0以上無い事も知っていた。
士気であれ何であれ、ランダムイベントの効果を除くそれは計算式で容易く調べる事が出来るのがパラドゲーの醍醐味である。
加えて筆者は自他共に認める頑固で分からず屋気質なので、例えいくらMoralが上回っていようが臆するキャラではなかった。
逆にこの時条約を結ぼうと言われていたらPolandの立ち位置を明確にせざるを得なくなったのだろうが
さすがにそこまで気が回らなかったようだ。
もし、MingがHindustan領で反乱潰しを手伝う最中に戦端が開かれる事になれば
Ming本土に帰還する前に現地で消し炭になって頂くつもりでいた。
果たして、この対立はどのような決着を見るのか...。
OttomansとMingの直接対決が差し迫っているという情報をどこかでキャッチしたのだろう
NeterlandsがAustria/Poland/Brandenburgに対して対Ottomans戦を持ちかけてきた。
しかしながら、長きに渡って内政をやり続けてきたHRE勢は内政病を拗らせており
溜まった戦意というガスを模擬戦で発散していた事から、戦争勧誘に反応すらしなくなっていた。
伝統的に筆者が絡んだ連合体は緩い組織体形になる。
ギスギスした外交フィールドにおいて、どうしても心の拠り所を欲するところがあるようで
今回はそれがHREという形で表れたようだ。
それで居て無駄に結束力は高く、対Ming包囲網にRussiaを助ける為に参加してくると話した時などは
「Polandさんにはいろいろ押し付けちゃってますので、戦争の時ぐらいはお手伝いしますよ。」
「うちもできる限り手伝いますよ!」等と何の利益も伴わない戦争にまで付き合ってくれた。
後日、HREの態勢について他国と談じる事があったが
どうもPolandがAustriaとBrandenburgを傀儡化し、実質トップの座にあると見られていたらしい。
Poland「え、マジで。」
良く分からないが、そう言われるということはそう見える何かがあったのだろう。