AAR/モンゴルを再び偉大に/蒙古帝国
モンゴルを再び偉大に
1524年に明を2度続けて叩くことに成功したモンゴル。これで明との格付けは終わりました。
中華領域については、あとは停戦期間が明けるごとに戦争を仕掛け、奪えるだけ土地を奪ってゆくのみです。
時間はかかりますが、特筆すべきことはそれほどありません。
ところで目標実績のひとつThe Great Khan達成のためには中華領域に留まらず、ロシア・ペルシャリージョンまで勢力下に収めることが必要です。
(正確には、China Super Regionの3リージョン+Khorasan・Persia・Russia・Ural・Pontic Steppeの計8リージョン全部)
つまり列強4位のモスクワ(ロシア)、そして列強1位のオスマンを打倒しなければなりません。
これらの国と戦端を開く準備として、明の国力を吸収しつつ、中央アジアへも本格的に勢力を広げて行きます。
時代が少し進んで1569年。
第5次対明戦争後、晋の外交併合が完了したことで総開発度が1000に到達、帝国ランクとなりました。
国家ランク名はHorde→Khanate→Khaganateと変化してきました。
つまり、一遊牧部族の長にまで落ちぶれていた我らの君主は、ついに再び大モンゴルウルスのカガン=皇帝を名乗るまでに勢力を取り戻したのです。
最大人的資源、扶養限界ともに+30%まで向上。ますます戦争が捗ります。
1567年の中華圏勢力図。
ここから晋(JIN=黄色)を外交併合して帝国ランクになりました。
モンゴルの属国は大西(XI=灰緑)、呉(WU=薄紫)、閔(MIN=白)。
チベット地域には手を触れていません。朝鮮は引き続き明に朝貢中。
また野人女真領だった樺太は反乱でアイヌ領となったのち、外交併合されて日本領となっています。
中央アジア勢力図(1570年)。
緑系の色が多くてわかりづらいですね。
北へは、RUSSIAの「A」の左下辺りまで伸びあがっています。
モスクワの東進を邪魔するべく中央アジア諸国をなるべく囲い込むように領土を奪ったものの、1553年にロシアに変態してシベリア植民が始まったことでこのような国境線に。
勢力圏の内部に取り込んだ敵国は一気に併合せず、少しずつ削っています。
戦争を繰り返す方がHordUnityを保ちやすいと考えたためです。
ペルシャ地域にもカスピ海南岸に領土を持ち、オスマンに接しています。
ペルシャを最初に叩いた際はオスマンに接しないようにしましたが、ペルシャの退潮が明らかだったため、2戦目(1570年停戦)の際には腹をくくって国境線確定に動きました。
中央付近の赤い国は、一度滅亡後にモンゴルが属国開放したティムールです。
(この図の属国はここだけ)
ついでに1570年の欧州。フランスの首都はなんとリオデジャネイロ。。。
今回のプレイでは植民地主義の発生が遅く、1533年でした。同年、全技術を11に上げています。
1544年にペナルティ+11%で技術を12まで上げました。
1548年にYeheを10→36に開発し伝播達成。翌年隣のGirinに伝播したところで受容可能になりました。
印刷術は1551年に発生。1557年に6%のペナルティで全技術13。
1561年に軍事点がオーバーフローしたのでGirinを再開発。39から53まで上げて印刷術を伝播させました。
今回は1州だけで受容可能になりました。
というわけで、Institutionによるペナルティをほとんど受けることなく技術を向上させることができました。
(むしろ時代ペナルティが消えるまで受容を待つ余裕すらありました)
アイディアについてはルネサンス受容時点でInfluence、Quantityの順に取得していましたが、その後、Humanist、Offensiveという順に進めました。
Humanistはこの先のムスリム地域への進出を見越しての選択です。
また将来元になるためにはAltaic文化でい続ける必要があるため、中華圏の文化には転向せず個別に受容しています。
その点でも受容文化が増えるHumanistは相性が良いと考えました。
Offensiveを取る際は台湾植民を可能にするアイディアと迷ったのですが、そのうちどこかの国が植民するだろうと割り切りました。
元になるために遊牧民政体でなくなるとHordUnityからの規律ボーナスがなくなるのでアイディアでの規律アップを急ぎたかったのも理由の一つです。
(この頃は遠くないうちに元になれると思っていました。。。)
さらに進めて1589年、モンゴルの領土はこのようになっていました。
明の解体を進める一方で、北はBUKHARA領を順次吸収。また南はペルシャのほかMULTANを叩いています。
モンゴルの属国は呉・閔・ティムール、そしてわかりづらいですがアフガニスタンを開放しました。
国力。収入はオスマンが抜けています。技術はモンゴルが最先端。
陸軍台帳。仮想敵国であるロシア・オスマンとはまだ並んでいます。
インドもヴィジャヤナガルとジャウンプルは同盟中で、合わせるとなかなかの兵力ですが技術後進国。
この時点で領土的には元に変態する条件を満たしています。
この次の戦争で明から帝位を奪って変態したものの、パッチが当たっていたために天命の減少を抑えられず開戦前からやり直したのは最初に書いた通りです。
これを受け、今後の方針を再検討する必要に迫られました。
混乱の中で取り急ぎ立てたのが
・総体的に弱いロシアを先につぶす
・オスマンとの国境は属国や朝貢国でふさぐ
・東南アジアに朝貢国を作る
・インドは大国を弱体化させてから朝貢国を増やす。
具体的には平地が多くて豊かなジャウンプルは吸収、ゴンドワナを朝貢国にして壁としヴィジャヤナガルは大きいので触れない
というようなことを考えたと思いますが、不徹底に終わりました。
かつ、振り返るとこの方針にはあまり意味がなかったと思います。
結局はモンゴルのままで可能な限り勢力を拡大するというのが実際のプレイになりましたし、結果論その方向で合っていたので、
中途半端に朝貢国化したり一部地域への侵攻が遅れたのは単なる足踏みだったかなと。
気を取り直して1590年、やり直した第7次対明戦争の結果このように州を奪いました。
中華の帝位は明に残すことにしたので、他国がちょっかいをかけないよう囲い込みました。