1444年のプレイ開幕時、モンゴルはオイラートの属国の地位に甘んじています。
チンギスハーンの時代、あるいは元朝の時代と比してもあまりに寂しい状況ですが、だからこそ劇的な逆転のロマンがあると前向きに考えたいところです。
前項で書いた通り、この世界線ではチャガタイが独立を支援してくれます。まずは外交官を派遣して確約を取り付けました。もう一人の外交官はひとまず明との関係改善に派遣します。
次にEstateコマンドからRaise Hostを選択。騎兵5部隊を初期費用なし・招集期間1/4で雇用するとともに有力部族から将軍が一人馳せ参じます。また君主および後継者の将軍としての能力を確認。攻城能力が最も高い1名に最初からいる部隊を率いさせます。全員0だったらせめて移動力を重視するしかありませんが、幸い今回は君主に攻城能力が1ありました。
National Focusを統治点にセットしたら時間を進めます。
12月11日、宣戦が可能になると同時にオイラートに独立戦争を挑みます。
まだ部族から招集した騎兵は1部隊しか招集できていませんが、明から警告を受ける前に独立を果たすためには一刻の猶予もありません。
最初からいる6Kの部隊は一直線にオイラートの首都Kobdoに向かう一方、Tribesから招集した騎兵はバラバラに各地の占領に取り掛かります。オイラートの部隊はチャガタイの兵を避けてモンゴル領に進入してきますが決して戦ってはいけません。こちらを上回る兵力に加えて、白兵5・移動5という化け物じみた将軍が率いています。騎兵が1~2部隊消されるくらいは許容範囲。主力を守るための囮になったと考えましょう。
明から警告が飛んでくる前に無事にKobdoを占領出来たらすかさず停戦しますが、その前に-3まで下がっている安定度を1つ上げておきます。
和平交渉にあたってはチャガタイの機嫌は気にする必要がありません。というのもそのうち明はチャガタイを朝貢させようと開戦するので、うっかり同盟を残しておくと巻き込まれてしまうからです。敢えて機嫌を損ね、向こうから同盟を破棄させます。
(なお明から警告を受けている場合、チャガタイとの同盟を維持して明との戦争に参加し、朝貢国復帰を条件に分離和平することで警告を早期に消すことができます。ただ明のタイミング次第になってしまいます。)
今回は警告を受ける前に首都制圧が完了し、明とオイラートの国境だった2州および豊かな3州を奪うことができました。国境を接しなくなったことでオイラートが朝貢国にならなければ明が西の抑止力になると期待しましたが、結局オイラートも明の朝貢国となりました。
戦後、チャガタイは予定通り同盟を破棄してきましたので、念のためKARA DELと同盟を結びます。
なるべく早く封建主義を受容するため、モンゴルが目指すべきは満州への進出です。西方は当面安定を重視します。
また、明の冊封下には速やかに入りたいところですが、折り悪く明が戦争を始めてしまったのでそちらの終結を待ちます。
経験則ですが、独立戦争が終わっていれば明からは警告が飛んできません。
1447年、明の戦争が終わったタイミングで朝貢を求める使者が来たので渡りに船と受け容れました。
宗主国からの独立戦争は宣戦時に安定度-3・戦争疲弊+3というペナルティをもたらします。
当然国内は不安定化していますので、明から警告を受けていなくてもすぐに次の戦争を始めるわけにはいきません。
反乱を警戒しつつ戦争疲弊の低下を待ちます。コア化が完了した州は一時的にステート化し、自治度を上げてから再びテリトリーに戻します。これにより自治度75%のままでUnrestを下げることができます。統治点が貯まったら安定度も上げてゆきます(当面は-1まで)。
1448年5月、ようやく国内が落ち着いたので次の戦争を始めます。ホルチン部は遼州と同盟を結んでおり、すでに野人女直を叩いて領土を拡大しています。本当は揉めている最中に仕掛けたかったのですが仕方ありません。次の機会も遠からず訪れるでしょう。
むしろ彼らがブリヤート部に手を出す前にモンゴルが叩いておかなければ。開戦の前にブリヤート部をライバル指定しておきます。
なお、ライバルについては東方の戦況によって仕掛ける相手が変わるため、ギリギリまで指定せずに宣戦直前に指定することを続けました(過去には独立後すぐにオイラートを指定したりもしましたが、PPを集めるにはこちらの方が効果的だと考えています)。
まだそこまで戦力に差がないため序盤の戦争では苦戦するケースもあるのですが、今回はそれほど困ることなく敵の兵力をすり潰して翌1449年の4月には全土の制圧に成功します。
和平にあたってはHumiliateを重視して1州を残しました。1州国家となったブリヤート部は原野を移動し始めます。
奪った州の一つには金山があるためぐっと収支が改善します。ここだけはRazeをせず後日外交点を投じて開発しました。
また将来の収入を改善するため、このエリアは永続的にステート化しました。
さて、こちらがブリヤート部と戦っている間に東方では朝鮮が遼州女直に攻め込んでいました。ホルチン部も同盟参戦し、兵力を減らしています。これを待っていた。
折に触れて外交欄をチェックし、1449年11月、遼州女直が参戦しないことを見極めてホルチン部に宣戦します。
こちらの兵力12000に対し、ホルチン部の兵力は6500。加えて朝鮮との戦争を継続中。これなら負ける気がしません。
1450年の終わりには国土の大半を制圧し、旧野人女直領2州に加えて海西女直に接するように領土を奪って停戦しました。
この時点でPPは100に到達、かなり助かります。
この年、すでに西方のどこかでルネサンスが発生しています。封建主義受容を急ぎたいところですが旧野人女直領2州だけでは受容に足りないので容赦なくRazeします。海西女直か野人女直を直接叩ける時を待つのみです。
1452年、当代君主Tayisungが死去し、Agbarjin(1.1.2)が後を継ぎました。低い能力ですが、後継は(5.6.1)と優秀なので早期政権交代を期待します。
1453年、野人女直と海西女直の戦争が終わりました。領土のやり取りはありませんでしたが、野人女直が勝ったようです。次のターゲットは海西女直に決まりました。
同年10月に仕掛けます。首都を攻めている間に北から回り込んだ部隊にあちこち占領されたりもしましたが、気にせず全土制圧を優先。1455年4月、完全併合しました。