1800年、フランスに宣戦布告。
チェロキーの下でUSAが戦っているという構図がなんともおかしい。
チェロキーの宣戦布告によりロシアも諦めたのだろう。
下馬評を覆しスウェーデン、フィンランド復活とまさかのウクライナ大勝利。裏でこっそり資金援助していた甲斐があったというものだ。
そういってもこっちの戦線にはほとんど影響していないでおじゃるのぉ
フランス海軍をウクライナ同盟国デンマーク海軍が潰していて輸送されていないからな。こちらはこちらでなんとかしようじゃないの
兵力は通行許可を貰ったアラゴン領土に20万弱配備。フランスは植民地がほとんどないから台帳どおりの兵力がいると考えて差し支えないだろう
その数フランスだけで30万を越えている。時間がないから宣戦布告したがロシアは海軍で阻止するとしても30万相手は無理じゃないのか?
アベにしては弱気なことをいうでおじゃるな。何の為にアラゴン側から攻め入ってると思うでおじゃるか?
軍事技術、質もほぼ同等。むしろ世界将軍リストの上位を占めている将軍がフランスにいる分こちらのほうが不利なのはわかっているでおじゃる
海軍で負けている以上、奴らの目的はフランス隣接している旧オランダ領土になるでおじゃる。
オランダが要塞化(ついでにチェロキーの手で一部要塞レベルを6にしている)を進めていた領土を落とすには最低でも2年はかかるでおじゃる。その間に南から少数を侵入させて釣られてきた兵力をアラゴンに伏せている全軍で叩くでおじゃる
フランスの1個師団は大体4万5000。こちらはその半分くらい置いておけば釣れるでおじゃる
釣れました。
そして強行軍を用いて包囲殲滅へ
仮に戦闘で負けてもアラゴンはフランスをライバル視しているから通行許可を出さないことは確認済み。退路も確保しているし完璧でおじゃる
何故その用意周到さを先のブリテン上陸とかで発揮しなかったんだ
麻呂のルーツって日本人だから制約されるほどやる気が出るのでおじゃる。むしろ制約から解き放たれると慢心して失敗するのでおじゃる
釣って勝利したものの殲滅ならず。
規律、士気は勝っているしがフランス将軍の質が良すぎるせいだろうか。
植民地を割譲させる程度なら50%程度の戦勝点で充分だが、今回はパリ周辺7プロビンスを割譲させなくてはいけないのである。
少なく見積もっても3回戦争をしないといけないと思っていたので1戦である程度奪っておきたかった。
しょうがないでおじゃる。やはり北部方面からの攻勢に切り替えるでおじゃるか
そこで戦局を打開する為に南進入を諦め、北部包囲網を破る作戦に転換する。
フランスは更にドイツ方面の戦線を抱えるハメになる。
その影響でフランスは兵力の一部をそちら方面に分散させていた。
(見えないので推測)
これを機にチェロキー軍は北部包囲を20万の兵力で打ち破り、
不動のフランス兵力10万に襲い掛かる。
援軍としてフランス軍も10万を差し向けてきたが各個撃破に成功。本当に紙一重だった。
ここまで来たチェロキーを焦らせるとは……やはりフランス相手は紙一重ではいかないでおじゃる
しかも奴らの将軍は包囲以外ほぼALL6だからな。さすがに殲滅はできないぜ
追撃をかけるも想定以上の兵力が山にこもっているのを見て殲滅を断念。
なるべく殲滅してから始めたかったでおじゃるが……とりあえず目的のパリ周辺占領を始めて釣れるのを待つしかないでおじゃるな
前の各個撃破成功から半年以上たっているのにあいつら兵力減ってるぞ
マンパワーはまだ残っているでおじゃるし一体何があったでおじゃる……ってまさか!?
ウクライナの奇跡の次はHRE反オーストリア国連合がフランスに抵抗して成果をあげているようだ
本来ならフランス様に踏み潰されて瞬殺されるだけの国家ががんばっている。
同盟国アルジェリアはフランス南部から国境を侵しているがまるでフランスが反撃してこない。
どうもフランスはHRE国の山岳地帯で手間取っているようでおじゃる。この戦争、勝負はついたでおじゃる
パリは燃えている。
次こそはとアムステルダムを手に入れるためにオランダ戦へ。
1804年、フランスと講和。ロシアとの再度の条約破棄、一気にパリ周辺の7プロビを割譲させ、感謝をこめてアルジェリアにはフランス南部をあげた。
7プロビもあるから一回じゃ割譲させられないと思っていたでおじゃるがいけたでおじゃる。
フランスは1プロビの税収も高いが本土領土の数がべらぼうに多いからな。割合で換算される戦勝点だと1プロビ辺りはさほど必要戦勝点が少なかったというのもあるな
ただ一気に7プロビも奪うからoverextensionが170%アップだ。
もはやtransferですら貿易船のTP0になる勢いでペナルティを負っている状態になったチェロキー。
コア化コストが半端ないでおじゃる!これ真面目に全部コア化したらゲーム終了まで政治点溜めても足りないでおじゃるよ!!
フランスはAristocratic (貴族主義)ideaを取るからな。そのideaの中にコア化コストを+100%にするという嫌がらせがある
だからフランスを叩き潰すつもりなら序盤にやっておかないとコア化コストがすごいことになるぞ
1805年、無事アムステルダムを確保。これで残すところパリとリスボンのみとなる。この後、オランダの首都はアメリカに属する小さな小島Catawbaとなり漁をして過ごしたという。
度重なる敗戦に国民がキレたのか。
ついに革命フランスが登場。
1808年、ポルトガル首都リスボンの囲い込みが完了しリーチ。
長かった……USAのほうは属国併合を開始、1819年に完了する見込みとなっている
1809年、先の戦いの傷跡が癒えぬ内にと停戦明けで即パリ攻略開始。
1810年、講和。ついにパリもチェロキーの手に堕ちる。
同時に南米の西洋国家駆逐の完了。
ちなみにパリのコア化コストは666だった。
1812年、最後のイギリス北アメリカ植民地陥落。
一時はどうなることかと思ったでおじゃるが……ついにここまできたでおじゃる
1815年、チェロキーはポルトガルに宣戦布告。
無理でおじゃる……二人の歩む道はあまりにも違いすぎたんでおじゃる
もはやポルトガルにチェロキーを停める力などなかった。
このまま巻きで終わる。筆者の頭の中ですらスタッフロールが流れ始めたその時のことだ……
革命フランス、まさかの抵抗。
しかもそのリーダーは……
まさかの横槍。全く想定していなかった事態に慌てるチェロキー軍部である。
そんな戯言はママの腕のなかでほざくでおじゃるよ、コルシカ生まれのナポレオーネ・ブオナパルド君
何故か敵はご自慢の将軍がいない状況だった為あっさり殲滅。
他も強行軍の餌食となり瞬時に壊滅させる。
余談だが筆者はフランス参戦時点で詰めを誤ったら不味いと一日間を置いていたので拍子抜けしていた。
何かすげえ負けてるのにオルレアン返してくれた。よくわからんが世界大国チェロキーに勝った記念として凱旋門立てるわ
1816年12月21日。終戦。
長きに渡る宿命の対決はポルトガルに始まりポルトガルに終わった。
チェロキーはリスボンを手にしsunset invasion(仮)を完遂。同時に北アメリカから西洋国家の駆逐を完了。残るは1819年完了予定のUSA併合を待つのみとなった。
1819年、USA併合完了。
西洋国家最後の砦であったUSA。西洋人は強制的にチェロキー領土を追われることになる。
チェロキーのtrali of tearsを回避し、USAにやらせる。このシーンの為だけにUSAを作って併合したわけだが、外交評判のアドバイザーが出なかったらゲーム終了までに併合が間に合わなかったからほっとしたところだ
1821年、ゲーム終了。
スコアも含め、チェロキーは文句なしの世界一の大国となった。
最後の収入。
overextensionを解消すれば貿易利益は+100D程度は見込めるだろう。
1821年。1月1日。
34の民族、10の宗教がひしめく大帝国チェロキー。
そんなチェロキーの独裁者であったマロ・onaconaは床に就き終わりを迎えようとしていた。
民衆は独裁者の死が間近に迫っていることを知り、大規模な反乱を興したという。
そもそもチェロキーの母体であるチェロキー族は合議制で物事を決める習慣があった。そんなチェロキー族の中には常に根強い王政反対者が存在し、幾度もonacona朝の正統性に疑問を投げかけていたのである。
そんな国が揺るがぬ意志とリーダーシップを持った人物を失えばどうなるのか?―火を見るよりも明らかだった。
「マ……しっかり……」
(アベの声がするでおじゃる……けれどもう、何をいっているのかわからないでおじゃる…)
マロは長きに渡る戦いを終え、瞼を閉じた。
もはや意味を解せぬ言葉の羅列を耳にして…。
(ああ、麻呂は死ぬでおじゃるか……待てよ、不可視境界線の住民である麻呂はまた1444年に戻るのかもしれないでおじゃるな……次はどこがいいか?明、オスマン、ポーランド?それとも……)
意識が混濁する。
何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。
ナミダクン、サヨナラ。サヨナラ、ナミダクン。
また合う日まで……。
こうしてマロは2度目の生を――。
――おい、おい!
(パラドゲー初心者に贈るEU4ソルジャー促成訓練キャンプ場へ続く…?)