AAR/スルタン絵日記

遅すぎた拡大

シリア、クロアチア

対マムルーク戦は順調に進む。

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シリアを占領し終わった後はガザに進出、ネゲフに移動してきたマムルーク軍をぼこる。
距離の都合か、大概逃げられるに殴れるのだ。

1548年10月27日 マムルークと停戦 Hammah(ハンマー?)以外の全領土をシリアへ

できれば一戦で全領土を奪還したかったのだが、マンパワー消耗と疲弊に耐え切れず妥協。
特にマンパワーがつらい。傭兵つかってないからか?

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民族主義者に期待してここだけ残したが、結局何もおきず。

消耗のひどさからまたしばらく休憩モードに。

1549年10月13日 セリム一世崩御。スレイマン1世(4/3/5)即位。

そして起きる反乱。
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claimがaverageだから?

後継者はアフメト(4/2/4)。平均だが、先代に比べると見劣りする。

一方そのころ、ナポリはイギリスと同君連合を組んでいた。
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南イタリア占領が遠のき、頭を抱える。

1552年7月25日 ハンガリーに宣戦
疲弊回復後、すぐさまハンガリーに宣戦。
事前にクロアチアを独立させ、中核州回収を狙う。
ハンガリーの同盟国は、主にイタリアの小国。

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足りない輸送力をおして、イタリアに強引に上陸。
二回に分けて上陸したら、第一陣が敗北しかけた。相変わらず危うい。
戦勝点稼ぎと、可能ならば小国を属国化するのが目的。

1553年11月11日 リトアニア、オスマンに宣戦
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はわわ。

第2次対リトアニア戦

急遽、ハンガリー戦は適当に切り上げることに。
ハンガリーは弱いので、全土占領してクロアチア全回収を狙っていたのだが、どこか一箇所割譲に応じればよしとすることに。
リトアニアのイギリス、デンマークとの同盟は続いており、参戦してくれば非常に危険。
参戦しないようブルーモスクで祈りをささげる。

イタリア遠征軍は占領ではなく敵の撃破に集中、戦果を稼ぐことに。

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祈りもむなしく、イギリスとデンマーク参戦。
海軍力の差がひどい。

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どこか一箇所割譲に応じれば、と思っていたら二箇所もらえたの図。

停戦時に自国領や属国領土にいると、移動の際普通に通行許可が必要になるが、敵国領土にいた場合は、サービスなのかどこへでも移動できる。
割譲が可能になっていることを確認してから、属国領にいたイタリア方面軍を敵国領土に移動させていたのだが、その間に時間経過で戦果が拡大したのか、二箇所もらるようになったようだ。ラッキー。
どこにしようか考えたが、結局必要戦勝点の高い二箇所を選択。

1554年2月17日 ハンガリーと停戦。リカ、スラヴォニアをクロアチアへ

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問題はリトアニア戦。ディフェンスに定評のあるポリ連合はどうでもいいのだが、デンマークとイギリスに本気で殴られると死んでしまう。
どうか本気モードではありませんように、と祈る日々。相変わらず運だのみが続く。

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とうとうアドリア海にイギリス海軍出現。海軍は全力で退避。
戦争のたびに連絡が途絶え、属国の教皇領は役立たず。
イタリアの領土がただのお荷物になり始めている。

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そしてイギリス、デンマーク陸軍が到着。
幸い数は多くないが、威力偵察に来たみたいで怖い。

1556年1月2日 リトアニアと白紙和平
ポリ連合を集中攻撃し白紙講和にもちこむ。
セーブデータを見返したところイギリス・デンマーク陸軍との交戦は0。
ひどいチキンプレイである。

その後リトアニアには仏罰が下った模様。
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スチームローラー

1557年8月1日 白羊朝に宣戦
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ティムールの属国から、マムルークの属国に乗り換えていた白羊朝に宣戦。
東アナトリア征服ミッションで捏造の手間を省く。
宣戦口実は安定のoverseas expansion。agg上昇が半分になるのはでかい。

白羊朝最後の領土クルディスタンと、シリアの未回収領土を狙う。

1559年10月27日 マムルークと停戦 クルディスタン獲得、ハンマー(仮)をシリアへ
シリアの回収が完了、即併合を開始する。

一方、その頃のリトアニア。
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総兵力3000、爆死は近い。

1561年3月1日 ハンガリーに宣戦

1564年5月7日 トスカーナと分離和平、属国化
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和平直後の包囲網マップ。一カ国属国化しただけでこれかよ。
和平画面の表示では+15.0となっているのに、ハードAIの補正のせいか、実際には50とか60のaggが飛んでいる。
この後オーストリア包囲網入り。

1564年6月5日 ハンガリーと停戦。varsad(?)、ザグレブをクロアチアへ
クロアチアも回収が完了。併合を急ぐ。

そしてリトアニアはこうなった。
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さりげなくキプチャクも巻き込んでいる。
農民戦争が始まった時にはm9(^Д^)という感じだったのだが、これを見て重大な事実に気づく。

リトアニアは、核兵器ロシアに対してアルミホイル程度の防御力を提供していたのだが、こうなると薄い紙一枚。
もし戦争になれば、最悪即隣接もありうる。頭痛の種が増えた。

1566年11月1日 黒羊朝に宣戦
アルメニアの獲得、そして属国グルジアの領土回収が狙い。

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戦争中、突然ロシア軍出現。
こちらの部隊に重なって消耗させるという嫌がらせを受ける。
どうもマムルーク・キプチャクと戦争している模様。

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北のほうを見上げると、大変なことになっていた。
戦争目的はロシアのキプチャクに対する聖戦。最悪だ。

上の画像の部隊は、マムルークが盟主になったため、南へ移動していたようだ。

1568年12月16日 黒羊朝と停戦。アルメニア獲得。旧領すべてをグルジアに返還。

その後、ロシアがマムルークと停戦。奇跡的にキプチャク領は無傷で助かったと思ったのだが、その後驚愕の事実が判明。

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ロシアがデンマークと同君連合を組んでいる。
少なくともロシアが自発的に拡大することはなくなったと考えるべきか。
それともロシア以上に手が出せない国ができたと考えるべきか。

1570年9月1日 マムルークに宣戦
1573年7月24日 マムルークと停戦。ユダヤ、カルバラを獲得

カルバラはすぐ、イラクとして独立。
イラクと陸続きにするため、Badiyat ash sham(?)も欲しかったのだが、またもマンパワーが底をつき停戦。
戦争が下手で困る。

この間、スレイマン一世崩御。
アフメト1世(4/2/4)即位。
後継者はメフメト(1/2/1)。

1574年2月21日 ヒジャーズから同盟のお誘い、承諾

初の同盟。
全方位侵略プレイなので、望まない戦争に巻き込まれる危険からあまり同盟は結べないのだが。

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ヒジャーズの周辺を見る限り、その危険はない。
なによりマムルークと組まれると厄介なので、先手を打って同盟することに。

なお、この同盟は最後まで続いたが、まともに役に立つことはなかった。

1580年2月20日 黒羊朝に宣戦

マンパワーの回復に時間をとられ、拡大ペースが鈍化。
16世紀中にマムルーク併合、など夢のまた夢という状況に。
イラク回収を狙い、黒羊朝に宣戦。

1581年7月10日 黒羊朝と停戦。バスラ、Iraq-i arabをイラクへ
イラクは戦勝点の都合上、一発回収できない(100%以上必要)のでここまで。
余談だが本レポでは、雰囲気重視でなるべくそれらしい表記をするようにしている。
が、探しても出てこないものは仕方ないので原文表記。

スティリアの罠

ヨーロッパ方面ではイタリアへの道をつなげようともくろむ。
まずハンガリー領イストラに捏造。
しかしハンガリートラディションのコア化コスト+200%を見て考え直す。

そして次にオーストリア領ゲルツに捏造していたのだが。
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工作が発覚したらこうなった。
すでにヨーロッパ側のaggは0になっており、包囲網も消滅していたのだが・・。
オーストリアの42を筆頭に、かなり広範囲の国が反応している。
まったくハードAIは地獄だぜ。

ゲルツ占領後、スティリアを属国として独立させ、オーストリアから中核州を回収して弱体化させる。

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上は1453年時のものだが、スティリアは結構な広さがある。
もっとも、オーストリアのパワーは主としてオストマルク、ウィーンあたりの異常性能と皇帝補正から来ているので、スティリアが完全独立してもそこまで弱体化するわけではないが。
神聖ローマを統一される前に、削れるだけ削っておきたい。

情報を見てみると、1644年にはコアが消失してしまうようなのでその前に動く。
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オーストリアは手ごわいので今まで避けていたが、この状況。
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兵力もほとんど残っておらず、同盟国もしょぼいところばかりになっていた。
この機を逃す手はないと判断。

1582年10月1日 オーストリアに宣戦

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予想以上に消耗していたのか、何の抵抗もなくこの状態に。
ウィーン包囲中だが、占領するまでもなく音を上げる。

1584年1月24日 オーストリアと停戦。ゲルツ獲得

戦後、さっそくスティリアを独立させる。

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だまされた。
中核州の期限が1544年までに変わっており、この後すぐ消滅。
どうやら、建国自体は1644年までできるようだが、中核州そのものは1544年に消失する設定のようだ。

仕方ないので、後でイストラだけ食べてもらうことに。
異教・異文化だが、布教すれば買ってくれるだろう。

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そしてこのaggである。
拡大する勢力範囲とは裏腹に、どんどん追い詰められている気しかしない。

タイムオーバー

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リトアニアの農民戦争がようやく終結。
実に30年近くにわたって続いていた。

1586年7月8日 黒羊朝に宣戦
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もはや雑魚と化した黒羊朝を一方的にぼこる。

1587年5月30日 黒羊朝と停戦。イラク全域を返還、ダゲスタン獲得。
イラクも回収が完了し、併合を開始。
さらにダゲスタンを獲得。北の国境線を直線にする。

なお、いまさらオーストリアが包囲網入り。
すでにマムルークが包囲網入りしており、動きがつかなくなる。
先だって、仲が微妙なスペインのラグサへの捏造工作を発見。
不安になって、主にスペインの同盟国に友愛している矢先の出来事だった。

当分動きがつかなくなるかとおもわれたのだが、マムルークがその後すぐに離脱。

1591年4月29日 マムルークに宣戦
1593年11月4日 マムルークと停戦。ガザ、ディムヤート獲得

当然の結果である。
例によって予想より消耗が大きかったため、2プロビのみで停戦となった。
戦後、また包囲網入りされるのは確実だと思われたので、どうせなら一気に削りたかったのだが。

1595年9月1日 黒羊朝に宣戦
1596年9月12日 黒羊朝と停戦、属国化

この頃、急にゲームが重くなり外交画面を確認すると案の定ロシアが戦争中。
24万の兵力を保有しているので無理もない。
アルマゲドンは近い。

1601年6月12日 スペイン、オスマンに宣戦
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1601年頃のオスマン帝国

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勢いだけで書いてます


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