AAR/スルタン絵日記/02

包囲網

アドリア海から黒海まで

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後継者アブデュルメジト(3/3/5)が病気に。
治療の甲斐なく死亡。予備の後継者はいなかった模様。
メフメフもすでに50歳過ぎ。大丈夫だろうか。

1486年8月 イベリアウエディング発生
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とうとうイベリアウエディング発生。アラゴンがカスティーリャの同君連合下に。
先だってウルビーノがアラゴンに併合されており、アンコーナ占領をもくろんで領有権を捏造させていた。
10月の停戦期限切れと同時に攻め込もうと思っていたのだが、先を越された形だ。

目標を変更。ベネチア領の島々、およびベネチアと同盟を組んでいるジェノヴァからカッファをいただくことにしよう。

1487年4月5日 ベネチアに宣戦布告
同盟相手はジェノヴァ、サヴォイ、シエナと小国ばかり。

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ベネチア戦の途中、イェニチェリイベント発生。
後々マイナスイベントもあるのだが、目先の戦闘力上昇を目当てに即採用。

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1489年9月5日 ジェノヴァと分離講和 カッファ獲得
1489年9月8日 ベネチアと講和 コルフ、ダルマティア、クレタ獲得

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えらいことになった。
特に直接領土を狙ったわけでもないハンガリーに-125ものペナルティがついている。

一度に切り取らない選択もあったが、戦争中ベネチアがフランスと同盟したので急がざるをえなかった。

この後ポーランド、ハンガリー、シエナ、マントヴァと続々包囲網入りし、ほとぼりが冷めるまで西側ではおとなしくすることに。

キプロス

1493年5月 マムルークに宣戦布告
いよいよ東方征服のはじまりだ。
マムルークはすでにトリポリとナジュドを併合しており、これ以上拡大されると困る。

今回のメインディッシュはキプロス。
状況次第でアル・ラッカーも確保し、シリアを属国作成する。
しかしそのアル・ラッカーは、目下黒羊朝が占領中。割譲されないか心配だが。
マムルークの同盟相手はキプチャク、アルジェリア、イエメン。
マムルークは黒羊朝との戦争のためか7千まで兵力が低下。同盟軍も多くはない。
キプチャクは3万3千と数だけは多いが、質は知れている。

1.開戦と同時にキプロスに侵攻
2.シリアと同時にキプチャクに侵入、戦勝点を稼ぎキプチャクを脱落させる
3.全兵力をマムルークに向ける

よし、完璧だ。

適当にキプチャク軍を攻撃するオスマン軍
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相手はリーダーもおり、地形は森林。大丈夫か?

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大丈夫だ。問題ない。

この後キプチャク軍への追撃は停戦まで続いた。

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南でも適当に突っ込む。

主力部隊によるアレッポ占領後、アル=ラッカーからドゥルカディルに向かう敵を発見。
殴りかかったところ、アルジェリアの援軍がいて予想外の数と戦闘になる。
攻撃する前は2万程度だと思っていた。

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新後継者、セリム誕生。
メフメフはすでに62歳。危ないところだった。

1494年11月 キプチャクと分離講和 白紙和平
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延々と追撃戦を続け、停戦可能に。
ちなみに占領地は全て属国によるもの。

1495年2月 メフメト2世崩御

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セリムはまだ0歳。長い摂政政治に突入。
摂政の能力値は2/5/5と結構優秀。
戦争はできないものの、すさまじいaggをばら撒いているのでほとぼりが冷めるまでおとなしくしているのも悪くはない。

1495年6月25日 マムルークと和平 キプロスおよびアル=ラッカー獲得
開戦と同時に上陸していたキプロスの占領が終わったので停戦交渉。
リーダーも砲兵もなしでのんびりと占領していたため、735日もかかってしまった。

すでにアレッポ、アル=ラッカーも占領していたためかあっさりと要求が通る。

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即座にシリア建国。アル=ラッカーはシリア領に。

摂政期の終わりまではのんびり休憩することに。

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えっ?

1495年7月 ベネチア、オスマンに対し宣戦

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盟主になったのはポーランド

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そしてポーランドはモスクワと同盟している

モルダヴィア

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開戦直後はあわてたもののモスクワが出撃することはなく、弱体なポーランド軍に対し連戦連勝。

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結局同盟国はバイエルンが参加したのみだった。
ハンガリーとシエナも包囲網入りしているのだが、参戦は見送った模様。

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属国のセルビア軍がポーランド軍と誤認されるという事態が多発。
外交併合を急ぐことに。

スクショを見返していて、ようやく見分けがつくようになった。
セルビアのほうが翼が大きい。間違い探しか。

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1497年7月 ポーランドと講和 モルダヴィア獲得
逆にポーランド領内に侵入し、モルダヴィアを獲得。すぐワラキアに0Gで売却。

イベントでモルダヴィアへのクレームがあったのがポーランドの不幸である。
多少aggが飛ぶが、摂政期にはそう拡大する予定はないのでいずれ下がるだろう。

余談だがこのタイミングでの被宣戦は、マンパワー消耗が原因と思われる。
主にキプチャク軍への無理やりな追撃が原因で、最大50000のマンパワーが20000近くまで低下していた。

マンパワーや兵力が低いと宣戦されやすくなる、というのは体感だが。

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戦争中、MILがあまったのでリーダーくじを回した結果。
Siege3とかはじめて見た。

シチリア遠征

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1509年7月20日 セリム一世即位

月日は流れ、成人したセリムが新スルタンに。

後継者マフムト(2/3/5)誕生。
マフムト10歳。弟か何かか?

なおSSをとり忘れたが、マフムトは2年後に死亡。
その後スレイマン(4/3/5)が誕生した。

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1509年7月20日 シチリアに宣戦

即位を見越して数ヶ月前から上陸部隊を洋上待機させていた。

シチリアはいつのまにかアラゴンから独立しており、さらにナポリを返り討ちにしてカラブリアを奪っていた。
なまじ拡大したため、カラブリアへ捏造されこんなことに。
同盟相手の教皇領ともども、属国化が目的である。

1511年2月10日 教皇領と分離和平 属国化
1511年3月11日 シチリアと和平 カラブリア獲得
時期がずれているのは外交官の都合。ローマ陥落前に、シチリアはマルタをのぞいて占領されていた。
シチリアは属国化できないようだったのでカラブリアをもらっておく。
イタリアに足がかりができた。

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オスマン→教皇領とか外交併合できるのかとか、
特殊な補正があってキリスト教国との仲が大変なことになるんじゃないかとか色々気になったものの、
「教皇領を属国化」というシチュエーションの誘惑には勝てなかった。ローマも手に入るし。

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その結果大変なことになった。

なお、可視化されている外交補正を見る限り教皇領にどうこうしたのが原因というわけではなく、
1カ国属国化+1州割譲だけでこうなったようだ。

ちなみにこの時点で包囲網を形成しているのは
ハンガリー、ポーランド、フランス、ブラウンシュヴァイク、カスティーリャ、ジェノヴァ、ミラノ、ナポリ、サヴォイ、シエナ、ベネチア、ハンザの12カ国。

開戦

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1513年7月 ナポリ、オスマンに対し宣戦

わりと絶望したが、とりあえず戦争相手を確認してみる。

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許された。

フランス、カスティーリャといったところは来ていない。
総兵力でもこっちが多いし、なぜ宣戦してきたのか。

その後同盟参戦でポンメルン、トスカーナも参戦してきたものの大勢は動かない。
オーストリアとも同盟していたのでそれだけが心配だったが、運よく見逃してくれたようだ。

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バルカンに侵入してきたハンガリー軍に対し優勢に戦いを進める。
ちなみにセルビアとボスニアは摂政政治の間に併合した。

開戦直後はイタリアの防衛は放棄するつもりだったのだが、制海権もあり問題はなさそうだ。

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1514年1月 カスティーリャ、オスマンに対し宣戦

・・まだあわてるような時間じゃない。カスティーリャだけなら何とかなるかもしれない。

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望みが絶たれた!

多すぎて全て表示されていないが、ポーランドその他包囲網形成国は全て参戦している。

1514年頃のオスマン帝国

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