さて、宗教戦争が始まる直前、1566年秋時点のテオドロの勢力範囲は以下の通り。
イタリアにおいては基本征服戦争で直轄領を拡大しつつ、、
サルッツォ・モンフェラートを外交にて属国化し勢力圏に収めている。
このころ、ミラノとスイスが組んでサヴォイを分割併合し強国化している。
サルッツォ、モンフェラートはそのはずみで独立したものだ。
で、ミラノはフランスにべったりくっついており、どうにも手が出せない状態となっている。
サヴォイをなんとか復活させ、再征服CBの基点にしたいなあというのが目下の重点目標である。
北ドイツではベルク公国やアンハルトあたりを使った再征服などで領土を拡大。
スイスの北には外交属国化のち併合にて作った直轄領がある。
他国に中核奪われ1領土転落した国を外交属国化して、再征服。
事後、諸国に対する「神聖ローマ帝国所属国を併合した」マイナスオピニオンの数値を見つつ
外交併合を行う・・・を繰り返しながら
AEに余裕を作っては直接征服戦争をしかけ、という形でじわじわと領域を広げている。
なかなか同盟関係がぐちゃぐちゃで、
大きな基点になりえる肝心な国が皇帝やフランスやスペインとくっついていたりして
毎度思った通りとはいかないのが困りもの(当然)だが。
一方帝国内の宗教分布はこんな感じ。
帝国はカトリック、ルター派、カルヴァン派、正教会が入り乱れるキリスト教の煉獄と化した。
さて。
前回ついに皇帝にブチギレられ、外交枠が1つ空いた我がテオドロ。
皇帝との同盟が切れたということは、今後HRE内で下手な拡張をすると、
逐一「不当な領土」批判が飛んできて不満度やらなんやらを食らうことになり、大変に鬱陶しい。
こういう場合はコアロンダリング作戦
つまり
1・征服戦争で帝国内の領土を取る
2・即座に別の戦争を開始し皇帝からの領土返還要求がこないようにしたうえで
3・とった土地のコア化完了まで戦争を引き延ばしうやむやにする
というのが定石である。
2度目の戦争をHRE内で行うなら、従属国の再征服CBを使うのが望ましい。
再征服なら取り返した土地はすでにコア化済みなので。
ただもちろん、そうそう毎度都合よく、適当に勝てて、かつ、ヤるうまみのある戦争を
2回続けてできる状態にするのはちょっと難しい。
情勢を整えるために待ち時間を無駄に長くしたりしてしまっては本末転倒である。
HRE加盟国へのAEは常に20~40あたりをうろうろしている状態にしておきたいものだ。
というわけで、HRE内での戦争がうまくやれる状態でないときに備え
別方面でできる戦争のタネを仕込んでおくことにした。
1565年11月、テオドロはマムルークとの同盟を締結。
この世界では拡張ペースが極めて遅いオスマン、動員力は後先考えずにやっても7万前後というところだ。
一方マムルークは元気いっぱい、外交関係をきれいに整えオスマンと敵対しつつ、
常備10万に迫る兵力と大海軍を維持し、大国然として君臨している。
続いて1573年。
外交従属させたエピルスの併合が完了、即時に属国ビザンツとしてリリース。
ギリシャのコアを残した状態のビザンツが、我が属国として復活したわけだ。
なかなかに感慨深いものがある。
これで
・コアロンダリングの時間を十分に作りつつ
・やるうまみの極めて大きい戦争
の種を仕込むことができた。あとは機をうかがうだけだ。
1567年に始まった宗教戦争の名を借りた欧州大戦は、常時皇帝側の優勢で進んでいた。
反皇帝側の西の主力であるフランス軍は皇帝側に立って参戦したスペインに足を取られ、
一方の主力オスマン軍は、精強無類のハンガリー軍に真っ向抑えこまれ、
コモンウェルスは皇帝軍とモスクワ大公国軍に地獄のサンドイッチを食らい、国土の大半を焼け野原と化さしめられた。
1572年内には勝敗の趨勢はほぼ明らかとなり、
国土全域を占領されたブランデンブルク選帝侯は皇帝と屈辱的単独和平を決断。
ベルリンをオーストリアに割譲し命乞いをする無様をさらすこととなった。
なおこの後ザクセンにも攻められ、ポツダム1都市のみに逼塞を余儀なくされた。ホーエンツォレルン家息してない。
最終的に1574年、欧州7年戦争は皇帝側の大勝利で幕を閉じ、若干の国境変更とともに、
カトリックが帝国の唯一の公式宗派たることが宣言された。
ふーん。そう。(他人事)(すでに加盟国の約半数が正教転向済み)
新教側が負けたのはうちが新教国も構わず強制改宗キックを蹴りこみ加盟国が足りなかったのも一因ですわね。間違いない。
1575年。
どこだったか記録に残ってないためちょっと思い出せないのだが
帝国諸侯の1つを滅ぼした直後、いざコアロンダリング兼ビザンツ復興のため
マムルークに土地約束の上で引きずり込みオスマンに宣せ・・・
オスマン貴様おまえティムール帝国*1と同盟してるとかふざけんな。
イスラム教徒はイスラム教徒同士で殺し愛してろ。
まあ戦力的にはそれでもこちらがかなり有利だ。さすがに元気なマムルークは強い。
・・・というわけでこうなった。
ビザンツ復興の大義に燃えた軍兵は、双頭の鷲の大軍旗を掲げ勇躍コンスタンティノープルの城壁を破砕し市内へ突入、
ハギアソフィア大聖堂に翻る三日月の旗を引きずりおろして焼き捨てたのである。
メフメト2世今どんな気分? どんな気分?*2
この後、おそらく予算不足のためか旧式艦艇ばかりの張りぼてと化していたオスマン海軍を、マムルーク海軍との合同で撃滅にも成功。
制海権を完全に握った我が軍はアナトリア半島へと勇躍前進する。
ティムール帝国については、
便乗で戦争を仕掛けていったトランスオクシアナ=アフガニスタン連合軍が首都を陥落させたのを機に、賠償金だけもらってさっさと和平。
白羊朝はティムールの離脱後にマムルーク軍が引き潰し、賠償金とオスマンとの同盟破棄にて和平。
そして1579年6月、オスマン軍を一兵残らず殲滅の上、全土占領の100点和平を叩き込んだ。
光り輝く ビ ザ ン ツ の4文字。高笑いが止まらないというやつだ。
ビザンツくんは辺境伯として思いっきり使い倒すからね。一緒に頑張ろうね。
ちなみにここよく見たらコルフ島をヴェネツィアに割譲させているが、これはただのポカミス。悪しからず。
翌1580年、フランスとミラノの同盟関係が何かの弾みで壊れたのを確認したため、
ミラノとハンガリーの同盟関係を無効化するために、
ミラノの別口の同盟国ブルゴーニュにハンガリーと一緒に宣戦の上で、ミラノに共戦で巻き込む、という迂回宣戦で一撃し一領土奪取。
モンフェラート、サルッツォを外交併合の上、サヴォイを属国として復活させることに成功した。*3
多数のコアをミラノ・スイスに残すため、うまく基点として使いたいところだ。
など、いい調子に事を進めている最中、突如として思わずひっくり返るような事態が発生した。
すなわち
フランスくん!?!?!?
スカンジナビア統一した大デンマークを同君下位化とかまずいですよ!!!!????
なにやってんですか!?!?!?!
ふざけないでもらえますか!!!!!
このフランス=デンマークによる大同君連合はこのあと長らくカトリックの守護者常時宣言状態となり、
カトリック諸国への戦争に対する絶大極まる抑止力として立ちはだかることとなる。
よゆうで20万とか出せる相手と戦争なんてとんでもないです。
ごかんべんください。
ロシア貴様ー!!! ふざけるなー!!! 誰をライバル指定してるーーー!!!
デンマーク同君下位アへ堕ちで外交関係に激震が走っておる。勘弁しろ。
なお、プレイ中は思わなかったのだが、
もしかしたらテオドロの故郷であるクリミア半島のテオドロ領を
「なんか手放すのも馬鹿らしいなあ」くらいの気持ちで領有し続けていたのがひとつまずかったのかもしれないなあ、と
このAAR書きながら思っていたりする。適当に売っといてもよかったかも。
1587年、ふと南米の様子を見に行ったらお茶吹いた。
トゥピキニーン!? は!?
カトリックを受容し技術水準も速やかにキャッチアップに成功したトゥピキニーンが
現地のポルトガル植民国家を襲撃し征服の上、フランスとの同盟を成立させ、ブラジルに国家を樹立していた。
そんなことある?
・・・なおこのあと1602年にはこんなことまで。
いやほんとポルトガルなにやってんの?
南米現地民に返り討ちにされた挙句、インドのゴアを手放す羽目になるとかどういうことだよ。
1594年。
オスマンとの停戦が明け、またどこか*4のコアロンダリングの時間稼ぎを兼ねて
第2次オスマン遠征を開始。
今度はマムルークに加えハンガリーもつれてきてあげたぞ。うれしいか? ん? 列強複数に踏みにじられるお気持ちはいかが?
ちなみに画像の参戦国一覧に映っているドイツ系の諸国はすべて属国である。
だいたいどのあたりで領土拡張を図っているかわかってもらえるだろうか。
この中で特に美味しかったのが、一度完全に滅亡してから1領土だけうまいこともぎ取って再独立させられたポメラニア公国である。
このあとバルト南岸地帯をごっそりと再征服でゲットすることができた。こういうのもっとください。
なお戦争自体はこれだけのメンツを引き連れて殴っているので特に紛れもなく。
コンスタンティノープル奪還及びビザンツの全中核州の回復、オスマンを破産に追いやる額の賠償金をもぎ取った。
まだアナトリアのほぼ全域とブルガリア、セルビア南部などを保持してはいるが、
背骨をへし折るくらいまでは行ったというところ。
この後も定期的に殴り飛ばしに来るからな。金と領土用意して待ってろよ。
そして世紀が変わって1606年。
このしばらく前に、
テオドロはポツダム1都市に逼塞を余儀なくされた元選帝侯ブランデンブルクを、共戦巻きこみにて戦争属国化。
オーストリアに対し再征服CBを発動する機会をうかがっていた。
だが、オーストリアとハンガリーの同盟が堅固に維持され続けているため
なかなか直接宣戦できる状態にならない状況が長く続いていた。*5
そこでやむなく。
オーストリアへの再征服CBを用いての直接宣戦はいったんあきらめ、
正教に改宗させておいた自由都市ミュールハウゼンに対しハンガリーを伴って宣戦し、
オーストリアとハンガリーの同盟を無効化するとともに
カトリックの守護者フランスによる介入も阻止する手にて、皇帝と一戦交えることとした。
ミュールハウゼン、オーストリア共に帝国内に多数の同盟国を持っているが、
自由都市の同盟状態についてはどこも似たようなもので、どうしようもなしというところ。
ハンガリーとオーストリアが食い合っている間に同盟諸侯を各個に脱落させていけば問題なく勝てる算段だ。
1606年に始まった戦争は、参戦国の多さゆえにカオスの有様となったが、
予想通りオーストリア軍がハンガリー領(及びビザンツ領)に侵攻して消耗戦を展開してくれた。
その間に諸侯を順次適当に金だけせびって脱落させていき、1608年中に一通り片を付けたうえで、
テオドロ軍は続々と無防備なオーストリア本国へ侵入。
開けて1609年3月にウィーンを占領し、凱歌を上げた。
共戦国指定とはいえ通常の征服戦争扱いで大量に領土を取ろうものならAEが大爆発するため、
まず旧ボヘミアの一角を削り取り、属国として独立させつつ、上限いっぱいの賠償金をむしり取りつつ、
オーストリアが以前の宗教戦争の際、コモンウェルスから奪い取って中核化していた、
ハンガリーの国境沿いの1プロビをハンガリーへと割譲させた。
これで相手の中核州を持っている補正をオーストリアにかけて、ハンガリーとの再同盟を阻止せんとしたが、
だめだったみたいですね。
オーストリア=ハンガリーの連帯は極めて強固なようで、この程度の小細工には動じず、再同盟が成立していた。
この後も当面、いかにしてハンガリーを除外しつつオーストリアに再征服CBを打ち込むか、
タイミングを計る日々が続いた。
もっともオーストリアにとってこの敗北は強烈に響いたようで、
この4年後に賠償金の支払い等に耐え兼ね破産。
その後1618年の皇帝選挙にて、ザクセン選帝侯に皇帝位を譲ることとなった。
皇帝の権威はもうボドボドだ。
一方、1610年は正教徒にとって記念すべき年となった。
長らく地道に続けていた都市ローマでの宣教活動が終了、
ローマ主教座を設置し、今や都市ローマは正教圏の一角であることを高らかに宣言したのである。
カトリックの教皇息してるか? ん?
カトリックの守護者フランスに加えスペインとまで同盟しているため、ちょっと滅ぼしに行けないのが残念である。
第4話 バシレウス2世の時代