AAR/ゴートの侵略

東方遠征のおわり

1670年、第5次オスマン遠征が終結。
アナトリア中央部をごっそりと頂いて帰った。

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ただし、ビザンツの征服CBでゴリゴリ奪っていったことによるAE蓄積と、
オスマンがいよいよ弱小国化したことの2点が重なり、
ついにマムルークがブチギレ、同盟を破棄し敵意を燃やすようになっている。

まあもうビザンツも十二分に強くなったので、もういいかなというところで、
東方への拡大はこれにて手じまいとすることにした。

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やろうと思えばオスマン併合マムルーク解体し北アフリカ統一し地中海世界統合くらいまでは
全然やれたとは思うけれど、そこまでがんばってやる気にはならなかったということで、ひとつ。

そのころ東洋では

1672年、中華帝国位の所持者が変わったポップアップが出たため、東洋の様子を見に行ってみると、
明がかろうじて崩壊を免れた状態で、清が満州にて成立していた。

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これはなかなか熱い展開・・・と思っていたが
この10年後には明は大崩壊し華北より南は小国家分立の戦国時代に突入。
一方の清は南進・統一を図ろうとしていたようだが、
定期的にシベリアからロシアにぶん殴られ、そのたびに寸土も渡さぬ死戦を展開、お互い大消耗し借金の山を築く・・・
という展開が、この後100年以上延々と続いてしまうことになる。

だがそれでも、清は何度もロシアに攻め込まれたが、一度たりとて負けず満州の一角すら渡すことがなかった。
大したものである。

100年同盟の終焉

1676年。ついにハンガリーが激怒してしまった。

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違うんだハンガリーくん。きみが悪いんだ。
フランスが財政難なところにつけこみ、カトリック守護者宣言とかするからいけないんだ。
カトリック選帝侯を叩き潰すついでに守護者はがしたうえで戦後再同盟すればいいだろ、という考えで戦争して
それで再同盟してくれないどころか激怒までしてしまうなんて、僕たちの100年以上のお付き合いは一体何だったんだ。

同盟切れても婚姻あるし再同盟いけるやろとか甘く見たのが悪いって? 
それは横においといて。

だがまあいい機会であった。見ての通りバルカンのオスマン領を食い尽くした結果
ハンガリーはDEV900を超え帝国級に迫る大きさになっている。
これがカトリック守護者を頻繁に宣言するようになってはそれはそれで果てしなく面倒であるし
正直、和平時の同盟無効条約が期限切れした瞬間に、オーストリアと毎度毎度毎度毎度同盟してくるこの国が
そろそろうざったくなってきたのも事実であった。

ハンガリーくん。君はいい友達だった。
だがそろそろおいたが過ぎたようだ。報いを受けてもらう時が来たのだ。楽しみにしておくがいい。

フランスをたたきのめせ

そして時が流れ1688年。ここちょっと間違えて10年分のスクショを紛失してしまった。申し訳ない。
細かな戦争を繰り返してHREを解体しつつハンガリーとの停戦明けを待ち、
極めて恣意的に4プロビ割譲させて、クロアチア・セルビア・ブルガリア・ワラキアの4国を1プロビ国家として再独立させたところである。

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HRE圏内の国も着々と減ってきている。

で、この年フランスに2度目の宣戦布告を行った。

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宣戦前に、前回の戦でシレっと奪い取っておいたデンマークのきれっぱしを使って再独立させておく。
せっかくの統一大デンマークである。大切にしないといけないよ。フランスに吸収されておしまいなんて悲しいじゃないかね。
外交枠がちょっとあふれているがこの時期なら高レベル顧問で割とどうとでもなるので全然平気だ。
もっとも、開戦のCBはデンマークでなく、別口でホラントから引っぺがして独立させておいたフランドルのものを使ったが。

前回の戦争からだいぶ経ち、停戦はとっくに明けていたが、連戦に連戦を続けた影響で人的資源がちょっと怪しくなってきていたため、
回復を待つために開戦をここまで先延ばしにしてしまった。

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この時期カトリック守護者はスペインが宣言しているが、フランスとは致命的に仲が悪く参戦はしてこない。
フランスはほかの強国、ロシア・イングランド・オーストリア・ハンガリーのいずれとも良好な関係を築けていないようで、
デンマークを飲み込んでしまった後、まともな同盟国を見つけられずにいるようだ。

正直負ける要素がない。

仏領デンマークのシェラン島を攻囲していた4万5千が、
突如スウェーデンの奥地から現れたフランス軍12万に消し飛ばされる等の事故はあったものの
戦争の勝敗を覆すようなものではなく。

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サクッと勝利。面倒なデンマークの島嶼要塞を確保し次の戦争に備える。
また、この敗戦でHRE圏国家から愛想を尽かされたのか、
選帝侯の投票先がすべてオーストリアになっていた。フランス王代替わりで皇帝でなくなればいよいよHRE解体が見える。

なおこのタイミングでやろうとすると
オーストリア選帝侯&守護者スペインが介入してくるカトリック選帝侯&皇帝フランス、と
3並行戦争をやる羽目になりさすがにちょっと勘弁してくれ、というところであった。
頑張れば勝てたとは思うけれど。

そしてフランスへの攻撃はこれで終わりではない。

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彼らは今皇帝であり、帝国自由都市へ宣戦することで問答無用で共戦で引きずり出すことができてしまう。
さあ賠償金のおかわりと全外交関係を破壊させてもら・・・

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は?(真顔)
40000が50000相手になんだこの無様な戦ぶりはさすがに頭抱えるわ・・・

ともかく戦争には勝利してフランスから賠償金4000ダカットお代わり、これでさすがのフランスも耐え切れず破産した。

ロシアの南下政策

続いて1696年のこと。ハンガリー分割のための戦争のために、停戦終了まえの外交状況確認を行うと
・・・は?

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待てお前オーストリアと例によって同盟してるのは許すがロシアちょっと待ておまえ。

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ガッツリ35万軍兵を持ちつつハンガリーとコモンウェルスに独立保証かけるロシア。
そういえばロシアくんうちのことライバル宣言してたっけ・・・忘れてたわ・・・
そうかそうか・・・

というかきみセブとテルナテと戦争中ってどういうことだよ・・・なんでフィリピン~マラッカで利権争ってんだよ・・・
清に勝てないせいでウラジオストックすら取れてないじゃん・・・

首都がサンクトペテルブルクなので、Vicよろしく輸送船で開戦劈頭陸兵揚陸首都強襲作戦でどうとでも勝てるのは確かだが
それはそれとして、奪いたいもの奪うべきものが何もないのにロシアと戦争するのは面倒が過ぎる。
ハンガリー攻めは再征服の都合直接宣戦が必要なので、ここは少し様子を見ることとした。
清とやりあって、領土被占領補正&大借金積み上げで、参戦不可になる可能性は割とあると踏んだ。

なお、オーストリアは同盟国使っての迂回宣戦で一発ぶん殴っておいた。

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ハンガリーと同盟するのいい加減やめろ。

18世紀のはじめに

世紀変わって1701年。
延々コモンウェルスと同盟していたためになぜか生き残っている都市国家・リガを使い、コモンウェルスへ迂回宣戦。

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また同時期、ハンガリーからモルダヴィアが独立している。
コモンウェルスがライバル関係で通行許可出ない&ブルガリア・ワラキアに行く手を阻まれて、
独立反乱を鎮圧するための軍隊を送るルートがなく、どうしようもなかった模様だ。

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コモンウェルスに宣戦したついでにこちらも併合しておく。
なお領土はすべてワラキアにプレゼントした。ルーマニア文化同士仲良くやりな?

さらに1704年。コモンウェルス戦を終えてクールダウンしている中ふと気づいた。

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ロシアによるハンガリーへの独立保障がなぜか外れていた。
即時宣戦。待ったなし。
なおヴェネチアはクレタ島・コルフ島のみを領する島嶼国家で、事実上戦力にはなりえない。

1年半ほどの戦争でこうなって

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こうなった。
第一次ハンガリー分割である。

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帝国の最期

ハンガリー分割戦争中の1704年、当代のHRE皇帝にしてフランス王が崩御し、皇帝選挙が行われた。

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選挙対象はわずか2国。オーストリアと、新皇帝に選ばれたバンベルク選帝侯である。
1領土しか持たぬ吹けば飛ぶような小諸侯、しかし同盟のしがらみとカトリック守護者たちによる威圧の恩恵でここまで生きながらえてきた。

それもこれでおしまいだ。
カトリックの大国はいずれもテオドロとの戦争で気息奄々、
唯一無傷に近いスペインは、この時たまたま摂政制で守護者の資格を満たしていない。

そしてバンベルク皇帝とオーストリアは同盟しているため、片方殴ればどっちもついてくるお得セットである。
この時オーストリアはハンガリーとの同盟を復活させていたため、*1
オーストリアではなくバンベルクに宣戦。ついにHRE解体への道が・・・

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開いた。

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さらば偉大なるローマ帝国よ! 歴史の一部となって眠れ!

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か い か ん 。

第6話 革命の熱狂


*1 これ書きながら思ったけど、ここでオーストリアに宣戦しハンガリーとは素早く白紙和平取って停戦短くすればよかった。思い至らなかった。

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