国力が伸張したOmanはようやくOttomanと同盟を組めるようになりました。
Ottoman、Transoxiana、Khorasan、Multanとインド攻略用にVijayanagarとも同盟を結び、インドへ向けて進軍を開始します。
1495年、外交的に孤立していたBaluchistanをサクッと全土併合し、インド北西部に接しました。
1500年頃のインド亜大陸の様子、Multan、Vijayanagarは同盟国であるため、Gujaratを最初の目標として、参戦予定国のfavorが10貯まるのを待ちつつ、第2次Timurids戦でさらにペルシャ方面の7プロビを割譲させました。Timuridsは停戦明けの度に殴られる運命です。
1526年、Gujaratに宣戦しました。我が軍が有利に戦争を進め、Gujaratから9プロビ割譲させました。この時点でMewarが滅亡しており、AE対策のため属国として復活させてます。
まるまると太ったMultanがOmanの拡張の邪魔になってきました。Multanと同盟破棄し、彼の領土を飲み込みに掛かります。
1553年、Mltanに対しMewarのコア回収を目的として宣戦、同盟国の力を借りて圧勝します。Multanとの戦争中に大量の未回収コアを持つDelhiが孤立しているのに気付きます。
ペナルティには目を瞑り宣戦事由なしで宣戦し、彼を属国化します。
Delhi属国化後にMewarとDelhiのコアプロビを全て差し出すことを条件にMultanと和平を結びました。
そのまま勢いに乗りJaunpurに宣戦しDelhiのコアを回収、Malwaに宣戦しMewarのコアを回収しました。
属国コア回収の合間にQara QoyunluとMushasha連合をOttomanと挟撃し、イラク方面にも拡張しています。
MewarとDelhiはコア回収だけでここまで大きくなりました。
大きくなり過ぎて併合に相当な時間と外交点を使うことに気付いたので、4つ目のアイデアは権勢を取得、併合コストと時間の削減を狙いました。
この段階で宗教、防衛、統治、権勢の順番でアイデアを取得しています。
第2回の終わりでペルシャ文化にシフトしているので、後はDelhiの外交併合を完了すれば、拡張するのにうってつけの国家Mughalsへの変態が可能となります。
Mughals変態まで到達できれば、国家NIの効果等で拡張速度が劇的に上昇するので、次回以降は駆け足になると思います。
第4回へ続く