AAR/やりつくされたMughals OFをあえてやってみた
インド大陸とTimrids時代からのステート以外は、改宗でき次第貿易会社にしていますが、Eastern Plutocracy /東方富豪政治のおかげで
統治キャパには余裕があります。貿易会社が増えた事で財政も安定し無借金で平時の収支は500ダカット以上になりましたが、
ここで45000ダカットほど借金して改宗系モニュメントの第三段階へのアップグレードに注ぎ込みました。
ポップが出たので確認した所、実績Wonderfulを達成していました。第二段階以上のモニュメントの状況は以下の通り。
第三段階:Kashi Vishwanath Temple、Alhambra、Malta Forts、Harmandir Sahib、
Bagan Temples、Jokhang Temple、Prambanan Temple、Great Living Chola Temples
第二段階:Imperial City of Hue、Buddha Statues、Winter Palace、Kanbawzathadi Palace、Bam Citadel
その結果布教強度は19.5%になり、宣教師は8名体制になりましたが、Hinduの州はまだ1100ちょっとです。
1701年に交易アイディアをコンプリートし、宗教×交易のポリシーで布教強度+1%と統治×交易のポリシーで交易効率+20%を獲得。
安定度を3に上げて布教強度が21.5%になりました。これでイスラム教などの布教強度のマイナス補正がある州を除けば、
改宗はほぼ5ヶ月で完了するため、宣教師8名体制で1年で改宗できるのは約19州になり、残り120年で約2300州は改宗できる計算になります。
属国も活用して改宗しますが、属国Najdは宣教師4名で、属国Circassiaは宣教師2名で改宗を進めてくれています。
1700年代のダイジェスト。アジアは長らく放置していましたがようやく侵攻を開始しました。
1710年代のダイジェスト。Ottomansも残りわずかとなり、South Slavicの文化を統合したので、他宗教への戦勝点コスト-10%を獲得しました。
1719年にGreat Britainに宣戦。マンパワーが不足していますが、収支は大きくプラスなのでここからは傭兵を積極的に使っています。
本土には上陸できないため新大陸側で戦勝点を稼ごうとしましたが、同盟国や属国が海戦で負け続けて戦勝点を失ったため、
開戦から6年後の1725年に新大陸側の敵軍隊を殲滅した所で白紙和平。すぐに停戦期間無視で2戦目を行い、本土への上陸拠点を獲得しました。
その後1727年と1728年に1年毎に宣戦し、要塞のある州とモニュメントStonehengeのあるLondonを獲得。
東アジアにも侵攻しています。この後同盟Ayutthayaからの参戦要請が来ましたが面倒なので断り、同盟を破棄しました。
Great Britainへの侵攻も継続していますが、モニュメントStonehengeを使うにはEngland文化を受容する必要があるため、
England文化の州を獲得していき文化同化を目指します。Canada植民地の州も獲得しており、この後植民地国家Mughal Canadaが誕生しています。
1730年代のダイジェスト。1733年に軍事覇権を宣言し、Franceから同盟を破棄されました。
Sokotoを完全併合し、Sunniの州を属国Najdに与えてから、FetishistのSokotoを属国として作成しました。
Sokotoは宣教師+1のNIを持っているので、Hinduへの改宗を強制して、アフリカ西部の改宗を担当してもらいます。
この後植民地国家Mughal Brazilが誕生。影響アイディアを獲得しNajdの外交併合も開始しています。