AAR/やりつくされたMughals OFをあえてやってみた
FLはOttomansに近づいてきました。戦争に呼び出し続けているのでOttomansのマンパワーは枯渇しています。
1661年にSpainから入植中の州を除く新大陸の州を全て獲得しました。
そしてついにOttomansにライバル指定され同盟を破棄されました。5年後の決戦に向けて軍拡を進めます。
HinduのBrandenburgを属国作成。この後植民地国家Cubaが誕生しています。
独立欲求が下がっていた属国Malwaの外交併合が1666年にようやく完了しました。統治キャパはややオーバーしています。
モニュメントMalta Fortsの第二段階へのアップグレードが完了。
そしてOttomansとの停戦期間が明けたので宣戦します。Franceは借金があり参戦せず。こちらも借金を抱えているので返してあげることもできず、
単独で戦う事になりましたが、軍拡を進めた結果、軍量はOttomansの2倍になっています。かつてOttomansに軍量で差を付けられ、
同盟破棄される事に怯えていた頃の面影はもうありません。
1668年にTunisを脱落させ、1671年にOttomansとは100点で講和。
停戦期間無視で2戦目を行いますが、安定度コストは-90%近くになっており、格安で安定度を上げられます。
1676年にSpainとの停戦期間が明けたので、一旦Ottomansとは講和し、その後Spainに宣戦。
1679年に統治技術と外交技術を23に上げ、Spainと講和。州獲得の戦勝点コストは-30%、統治効率は62%になっていたため、
多くの州を獲得できました。同盟国Franceを呼び出すため、聖戦CBではなく植民地主義CBを使っており、外交点の消費が激しくなっています。
Circassiaを属国作成し、その後Ottomansに停戦無視で2度宣戦して戦争疲弊を上げ、宮廷と地方の国難を発生させました。
アナトリア半島からから追い出しましたOttomansには欧州を征服してもらい、それを後に刈り取る方針にします。
また、Mamluksから奪った州はNajdに与えて改宗してもらいます。
1695年にSpainをイベリア半島から駆逐。その後Deccanの外交併合が完了し、1698年に宮廷と地方の国難も完了しています。