1550年の状況。Hinduにはいつでも改宗できるのですが、Sunni Mughalsのコア化コスト-65%でも十分強力で、
すぐにはKashi Vishwanath Temple活用の必要性を感じないのと、Hinduに改宗してもどうせアップグレードする資金もないので、
Hindu諸国を滅ぼすまでは聖戦CBを使うためSunni Mughalsのまま進める事にしました。
Mughalsは列強1位ですが、軍量ではOttomansの半分にも届いていません。
1552年にVijayanagarからミッションViceroyalty of the Deccan?に必要な州を獲得。
属国Deccanを作成する方を選択して統治効率+10%を獲得します。この後Malwaの外交併合を開始しますが、
州を与えすぎた影響で独立欲求が高くなってしまい、この後100年以上外交併合が完了せず放置する羽目になりました。
1554年にMamluksに宣戦し、Aq Qoyunlu、Hish Kayfa、Mamluksからそれぞれ州を獲得しました。
Orissaに侵攻し、1561年にミッションGanges Delta、Follow the Brahmaputraを達成。
この後Ayutthayaと同盟し、属国Adenの外交併合が完了しています。
1566年に植民アイディアを取得し、太平洋の探検を開始しました。ビルマ地方やVijayanagar、Ethiopiaの征服も進めています。
1569年からオーストラリアへの植民を開始し、1571年、1575年にそれぞれ州を獲得。
インドの平定も進んだため、1580年にSikhへ回収するディシジョンを実行し、すぐにHinduへ改宗してHindu Mughalsになりました。
政体はastern Plutocracy /東方富豪政治を選択。まだ仏教系モニュメントがないため、主神は布教強度+2%のVishnuを選択しています。
早速Kashi Vishwanath Templeを、Harmandir Sahibのアップグレードを開始しています。
1584年、1585年にそれぞれAdal、Ajuuraanから州を獲得。Cushiticの文化を統合すると宣教師がもらえるため、征服を進めています。
1586年にはVijayanagarを完全併合しました。
植民も進めていき、1586年にモニュメントMoaiがあるRapanuiに入植開始。ここから南米を目指します。1588年にはCapeに先着して入植開始。
1594年には入植に役立つモニュメントNan MadollがあるMicronesiaに入植を開始しました。