1月 エンリケ3世がグラナダ貴族と結婚。(6/2/5)のバルタサス・カルロスが誕生。期待の持てる後継者だ。
2月~8月、モロッコに宣戦、1州割譲で講和。
3月 オスマンがマムルークを攻撃し、5州を奪っていた。マムルークの最期が近い。
10月 マムルークをさらに追い落とすべく宣戦。
4月 ロシアとオスマンが停戦。オスマンはロシアとイメレティに計6州を渡し、クリミア方面の領土が2つに分断された。それにしてもこの防衛戦争の傍らでマムルークから5州を攻め取っていたことになるが…。
宗教改革の時代ボーナスで、専用ボーナスのスペイン・テルシオを採用。カッチカチになる。
10月 マムルークと停戦。3州割譲に加え、4州を周辺諸国に割譲、さらに2国を独立させて大幅な弱体化を図っている。
#ref(): File not found: "hajiconq159710.png" at page "AAR/はじめてのせかいせいふく/第9話迷走の時代"
フランスのように我が国が美味しいところをいただく結果になればいいという目論見だが、流石にやり過ぎなような気もする。
停戦後のマムルーク領は。海、砂漠、国境によって大きく5つの領土に分断されている。これなら1か国が全領土併合するというのはなかなか難しいから、最後はうちのものになるのでは?という計算なのだけど。はてさて。
うまいことしぼんだところをうちが武力属国化できれば再征服の活用価値が高いのだけど。
停戦直後の同月 デンマークから、バルト地方のミタウを武力恫喝。リトアニアが周辺3か国から攻撃を受けて衰退の道を歩んでいるのを見て、足がかりを作っている。
11月 ポルトガルに対して宣戦、おっ!同君強要できるじゃん、くらいの軽さでミッションによる連合の回復CB試用を決めた。
1月 オーストラリア植民地成立
4月 三度オスマンを攻撃。
5月 神聖ローマ皇帝が代替わり。宗教戦争で追い落とされたと思ったボヘミアがちゃっかりプロテスタントに乗り換えて帝位に復帰している。
6月 ポルトガルを同君下位にしてポルトガルとは停戦。
とりあえずAEが大したことなかったのでヨシ!という感じで即決してしまったが、もうちょっと考えた方が良かったか。
同君連合は併合するまで50年も枠を使わなければいけないし。
12月 オスマンと9カ月で停戦。今回は布石のためのイチェル1州と同盟国チュニスからの1州獲得だけで済ませた。
4月 ガスコーニュの統合完了
6月 ブルターニュにフランスの再征服CBで宣戦。イングランド、サヴォイを巻き込む
今までフランス分割に協力してくれてありがとう!!とか口上を言いながら領土を回収しに行く。
7月 虫の息かと思われていたマムルークが東進し、ホルムズ領を併呑した。これでまた経過が分からなくなってきた。
1月 ビザンツも統合!
同月。イングランドと停戦。領土のやり取りはないが、アイルランドの2か国との属国関係を解消させ、同盟国とも切れてもらう。
2月 ブルターニュとも停戦。中核州5州をフランスに回復させる。
同月。2年前にオスマンから獲得していたイチェルから今度はカラマンを属国として復活させる。
6月 元スウェーデン領のニーランドからもフィンランドを属国解放する。
属国は入れ替わり、フランス、フィンランド、カラマン、それに同君下位にポルトガルとなった。外交枠は限界を超過している。
同日、即スウェーデンに宣戦布告。
1月 スウェーデンと停戦。フィンランド中核州8州すべての返還に加え、スペイン本国も1州を獲得した。
この頃、放置気味だったステート枠を目いっぱい使って可能な限りテリトリー数を減らすことに取り組んでいる。テリトリーが多すぎて汚職への悪影響がかさんでいたのに気づいた。
必要以上にあちこちで州を細かく獲得すると、あっという間にテリトリー数を圧迫してしまう。どうせ取るなら、同じ地域、ステートから複数の州を保持するようにした方がテリトリー地域の数が増えなくて済むようだ。(この仕様はver1.29まで?)
9月 ブルゴーニュに再征服戦争を挑む。
ブルゴーニュ、ボヘミア以下総勢力9か国約15万を相手取る大戦争になった。この後さらにスウェーデン、教皇領も参戦してくる。今までにない規模の交戦国を抱えることに。
ロレーヌ、アロディアも包囲網を結成で反応してきた。どうにかしたいがどうにもならない
11月 そうこうしているうちにまたまたノーサンバーランドがイングランドに吸収されてしまった。ちゃんと保証しておかないから…。
正直、完全に存在を忘れていた。
12月 うかつな進軍で、次々にボヘミアの大軍に殲滅を食らう。非常にキビシイ!
配置が完了していなかった軍にHRE領を通行させて捕捉されたりしている。特に何故か砲兵だけの軍をカバーできずに襲われているのは酷い。
一方的に大きな被害を出した後、傭兵スパムから、反撃に転ずる。
6~7月。 週や日の単位で移動を読み合う攻防の末、傭兵の力でなんとか戦線を押し返した。この後潰走殲滅をキメる戦いも増えてくる。
8月 突然の訃報。皇帝エンリケが世を去り、皇后摂政になる
それにしてもやけに短命だった。戦場に出してもいないはずだけど。あまりの損害に禿げ散らかして死んだ説。
ファッ!?。ポルトガルが同君を離脱!?
世代交代時に関係度が低いと同君離脱するんだっけ…。そりゃあそうだよなあ‥。完全に失念していた。
これそもそも同君維持するのムリゲーだったんじゃ。
最初から同君連合狙いで関係を維持しておく戦略が必要だったということか。スペイン化で同君CB手に入るという認識がなかった。開始時はGCも持ってなかったもんな
10月 ブルゴーニュと停戦。獲得したのは再征服目標のヌムール1州のみ。損失は8万プラス45隻(教皇領艦隊に一方的に負けた)。
とにかく割に合わない。これがHREの恐ろしさか。
実際のところプレイヤー厭戦が限界に達してしまった。
うっかりミスが多いのも明らかにプレイが適当になっているからだ
停戦後直ちにクスコに宣戦。対包囲網戦で9か国を引きずりだす。
ブルゴーニュ戦を早く切り上げたかったもう一つの理由はこの包囲網が怖かったから。
総兵力は10万、でもさっきのHRE諸国よりも少ないし、各方面に点在しているからまるで脅威度が低い
この時期、同時並行でキルワとも戦争していた。交易拠点になるモンバサだけ確保。
4月 クスコ及び包囲網各国と金で和平。宣戦先を他から孤立しているクスコにしたので、戦勝点を稼ぐのは楽。
ようやく平和が戻る。
やはり、HRE皇帝ボヘミアと同盟諸国の方が包囲網戦の何倍も恐ろしい相手だった。
絶対主義の時代に自治率下げをやりたいので、そろそろ可能な州では自治率を上げておく。(効果があるのかどうか疑問)。
ベンガルと、アフリカのヤカからそれぞれ武力恫喝。
サーターガーオンには要塞があるうえ、インド諸国への足掛かりとしても役立つ。こういう州を恫喝で取れるのはウマい。
11月 カラマンのコア再征服でオスマンに宣戦。
カラマンのコアは1610年で消えてしまう。停戦期間の都合上、どのみちオスマンには今攻撃するのだが、リミット間際のタイミングだ。
エジプトの反乱鎮圧に出てきていたオスマン軍を海上輸送で捕捉し横合いから攻撃、オイシイ開幕だ。
エーゲ海でも海戦に勝利!陸海で次々にオスマン軍を撃破していく。
こうなると、もともと物量で差がついているうえに制海権を取って好きなところに軍を投入できるスペインの優位は揺るがない。
3月 セルビアにまで便乗宣戦されるオスマン。
10月 戦勝点は十分稼げたので、今回はカラマンのコアを全て返還と、ついでに勇ましい我らがセルビアのコアも返還してもらって停戦。
再征服戦争だと、直接関係ない他国のコアの返還も余計なコストがかからずついでに要求できるのがいいところ。
停戦したと思ったら、珍しいことにアユタヤから援軍要請。特にメリットはないが、まだアユタヤとは仲良くしたいので、今回は受けておく。
今回は忘れずにペグーやマランクの州に関心をつけておいた。(特に役立つことはなかった)
5月 サヴォイに再征服戦争をしかける。
トスカーナとブルターニュが防衛側で参戦。総数もそれなりに多く、トスカーナの高レベル城塞の対処がやっかいで歯ごたえのある相手。
12月 セルビアはあっけなくオスマンに返り討ちにあった。なんとハンガリーがオスマンの防衛側に参戦していたらしく、両国に領土を分割されていた。
3月 権勢アイデアを外交評判プラスまで進めた。属国併合がはかどるだろう。
#9
7月 アユタヤの援軍要請に応えたアヴァ戦が2年かかって終結。攻城戦もうちが割と頑張ったのだが、獲得は1州のみでちょっと損した気分。
こちらが援軍に呼んだ時もやり口は同じなのだが。
10月 トスカーナと停戦し、ジェノバを独立国として解放させる。将来ジェノバノードを牛耳るためとても重要なポイントだ。
サヴォイからはフランス中核州の返還とついでにスイスに中核州返還も強要し勢力を削る。
このころ、弱体化したデンマークは、スウェーデンとハンブルクに攻撃され、ユトランド半島領の大半を喪失。
この後スウェーデンにもバルト海のゴットランド要塞を奪われていた。
12月 今度はドーフィネにフランス領の返還を要求する。
もともとドーフィネはスペインとフランスの戦争で独立させた国だったのだが。その際リヨンのコアの権利はフランスは放棄しているはずだが、他の2州についてはドーフィネがハイエナで勝手に奪った領土なのでフランスは正統な返還を主張できる。
ブルゴーニュも出てくるが今回はHRE外のドーフィネへの援軍なので皇帝が絡まないのは大きい。
4月 ドーフィネと停戦。
しっかりコア2州を返還させるつもりの戦争だったが、なんと、フランス地域は開発度が高く、再征服でも危険なAEが周辺に飛んでしまうことに気づいた。
すでに限界水準のAEへの影響を最低限にするため、今回は中核州オーヴェルニュの回収のみという慎ましい戦果に抑える。
ボヘミアやロレーヌといった直接攻撃できない内陸のHRE諸国のAEが超過状態にあり、同様の国がいくつも出て来てしまうと手に負えなくなる可能性がある。
7月 ブルネイとの戦争でも1州を獲得。
1月 都合よく弱小国家に落ちぶれたデンマーク。こうなったらもうやることは一つしかない。
ハンブルクさん、我らの敵を打ちのめしてくれて大変感謝しています。ついでに共通の敵にあたるため陸軍も通らせてくださいな。あとその辺りの領土は後ほど回収に上がりますんで。
5月 いっちょあがり。もう赤子の手をひねるようなもの。
現在の属国は、フランス、デンマーク、フィンランド、カラマン。かつての強力な競争相手がそのまま、あるいは分割されて配下にならんでいる形だ。
6月 ギニア地域のベニンに宣戦。西アフリカ周りの交易額が増大してきたので、象牙海岸の国に少しでも抜かれている現状が許せなくなってくる。
8月 マラッカとの戦争で1州を獲得。
相変わらずAEの限界を睨んでいるが、交易力の高い州を狙って取ってきた結果、マラッカとモルッカ諸島のノードで6~7割の支配を達成している。
宗教的混乱の国難が進行し始める。あまりこれと言って解決できそうな方法がない。
9月 ベニンを完全併合。
中東では、マムルークがイエメンとアロディア、ホルムズに袋叩きに合い、計9州を失った。
まだ4か所くらいの領土があるのですぐには滅亡しないと思いつつ介入のチャンスを伺っている。
他国同士で領土のやりとりがあるたび、あれもこれも自国の拡大チャンスに見え、属国にできるか再征服を狙えるかというハイエナ的嗅覚が働くようになってきている。
前:AAR/はじめてのせかいせいふく/第8話大帝国への道
次:[[]]