AAR/はじめてのせかいせいふく

第12話 宮廷の陰謀、地方の大乱

 ライバルから獲物へ

1646

9月 オスマンに宣戦。さっそく聖戦CBを利用。

12月 HRE皇帝が代替わり。皇帝位はボヘミアからブルゴーニュに移った。

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1647

7月 オスマンと停戦。99%和平で、各地から経済力などを考えながら15州を獲得、さらにセルビアに3州のコア返還をさせた。一応周辺諸国への接点を確保するようにした

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12月 イエメンに宣戦。ミドゥリ・バリの再征服活動を継続する。

1648

7月 レベル5の政府改革が通過し、絶対主義が5上がる。

11月 イエメンと停戦。ミドゥリ・バリに4州を返還させる。イエメンや同盟参戦諸国からスペイン本国も3州を獲得。

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1649

9月 ポルトガルとの半年間の戦争で、海外州10州を獲得。

ポルトガルの植民活動はまだまだ止まる気配がない。取った領土は植民地国家などに譲渡していく。

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1650

3月 ラプラタの植民地国家が成立。

11月 ブルゴーニュに宣戦。相手同盟国はヨーロッパの3か国で、総勢ざっと6万5千。ブルゴーニュ自身が皇帝になり、ボヘミアの保護がなくなったことで、各段に相手をしやすい存在になった。

1651

4月 ブルゴーニュを順当に圧倒し、4州獲得で停戦。

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6月 中米の戦争で、サポテカを全土併合。

7月 停戦明けを解消するためボヘミアに宣戦。ボヘミアがブランデンブルクからバルト地方に領土を獲得していたおかげで聖戦のCBが得られた。

今度はブルゴーニュが皇帝として保護に周り、相手は総勢14万になる。

こちらも対抗してロシアを呼ぶ。ありがたいことにポロツクとの戦争中でも援軍に来てくれた。

1652

3月 チチメカとの戦争で、同盟釣り出しから周辺3か国をまとめて全土併合。中米の征服が完了。

10月 ボヘミアと停戦。先に、同盟参戦のブルゴーニュ、ミラノと白紙和平した後物量で蹂躙した。

ボヘミア、ポメラニアから計4州を獲得し、さらにボヘミアの3州をウルム、シレジアに返還させ、リトアニアへの属国関係も切らせる。

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同時期の戦争でロシアはポロツクを全土併合した。

 外交的詐術

1653

6月~7月 属国ミドゥリ・バリおよびプロヴァンスの併合を開始。

8月 皇帝逝去。皇后摂政になる。覇権を揺るがぬものとし、実りの多い統治だったが、後継者を次々に失った彼は不幸だったのかもしれない。

こうなると10歳の後継者が無事成人するかどうかもなかなか心配になるところだ。

1654

1月 東アフリカの雄、アジュラーンが隣国マジーティーンに全土併合される。もちろんスペインにとっては都合のいい展開だ。

1655

1月~3月 順に、プロヴァンス、フランス、ミドゥリ・バリをそれぞれ併合完了。ほぼ同時にタイミングをそろえることができた。

同時期に、セルビアを外交属国化する。オスマンからのコア返還が有効にはたらいた。さらに周辺国への再征服CBも手に入る。

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属国3か国を統合した1,655年の世界。

まだ攻撃したことのない大国は明、ロシアのみで、単独でスペインに匹敵する力を持つ国は存在しない。

アフリカ沿岸部、東南アジア、新大陸をほぼ席巻し、インド征服も順調。

ヨーロッパも辺縁地域から着々と勢力を広げ、全土の支配も視野に入って来た。

交易収入も280ダカットに達し、金銭に困ることはないと言っていい。

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8月 イラクに宣戦。

同盟国としてロシアを呼んでいる。

9月 ハンガリーに宣戦。

ヴェネツィアおよびセルビアの中核州を多数抱え込んでいるので、取り立てがいがある。

先にロシアとともにイラクを攻めたことで、ハンガリーに独立保証していたロシアの参戦を阻止することができた。独立保証は列強行動で破棄させることができない以上、この手に限る。

オスマンから州を奪い取ってセルビアへ。その恩義を利用して、属国3国併合の終わった都合のいいタイミングでセルビアを属国化。セルビアの請求権でハンガリーを攻撃し、ロシアからハンガリーへの保護は同盟国として戦争に巻き込むことで機能不全に持ち込む、とここ一連の動きで実にEU4らしい外交トリックで思い通りの支配力を行使している。

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1657

1月 ハンガリーと停戦。先に防衛側同盟国を白紙和平で切り崩している。

ハンガリー領にあったヴェネツィアとセルビアのコアを全て返還させたうえ、スペイン本国にも7州を割譲させた。

これらの州も終戦後、ヴェネツィア、セルビアに分割して譲渡し、コア化を担当してもらう。

これだけ取っても周辺国へのAE増は軽いと言える水準。絶対主義値の高さに加えて、ハンガリーがカトリック国なのも影響している。

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同月、対イラク戦も同盟国切り崩しからの全土併合でつつがなく完了。

12月 イングランドに何度目かの宣戦。北米の植民地戦争。

 新たな宮廷、新たな秩序

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1月 フランシスコ・デ・パウラ(1/5/6)が即位。

ADMが泣きどころだが、総合的に言えば一応平均以上のスペック。

1659

1月 イングランドと停戦。今回は、海戦もこちらの圧勝に終わり、ほぼ抵抗を受けずに本土を蹂躙した。

しぶとく海軍力を回復して抵抗してきたイングランドだが、ここまでくるとようやく落ち目になってきた感がある。

10州割譲に加えて、海外4植民地についての権利も認めさせている。この直前に同盟参戦のオーストリアからも1州を獲得。

ブルゴーニュ以下HRE諸国に飛ぶAEも小さくなり、気にせず本土領土も奪うことができる。

この時期、並行して北米原住民国家の征服も一歩ずつ進めている。

5月 三度ヴィジャヤナガルに宣戦。そろそろ消化試合になってきた。

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4月 ヴィジャヤナガルと停戦。14州くらい(?)割譲させる。

奪った州は、平和期間になってから幾つかバフマニーに譲渡した。

非常に色が似ていて区別がつかないので早く一色に染めたい。

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1662

8月 宮廷と地方の国難のが発動。絶対主義の時代に入った時点で、安定度が高すぎ、国難の開始条件をなかなか満たせなかった。

安定度を下げる選択を選んでみたりしていたものの、そんな時に限って安定度プラスのイベントが起こるなど、ままならないもの。

この時期、安定度の低下や不穏度の上昇の影響で、各地で反乱が頻発。陸軍は鎮圧に忙殺され、停戦期間更新のための戦争すら満足に回す暇がなくなっている。

思えば、皇帝フランシスコは、非常に胡散臭い後継者交代劇の連続の中で生き残った過去を持つ。
巨大になりすぎた帝国の中で、強大な各地の諸侯の陰謀が跋扈する中、日々生命の危険さえ覚えながら幼少期を過ごし、戴冠の日を迎えたはず。
彼の最初の望みが諸侯から帝室に絶対的主権を取り戻すことだったとしてもごく当然のことだったのではないか。
その類まれな権謀と軍略の才が、帝国の内部、地方の叛乱勢力に向かって振り下ろされる!

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10月 ポルトガルから、イベリア半島に最後に残っていたアルガルヴェを武力恫喝。

ヨーロッパでも、各地で停戦更新がてら武力恫喝をしかけ続けており、塵も積もればで拡張の一助となっている。

同月、アジュラーンを属国として復活させる。前にカファあたりから獲得していた州にコアが残っていたため。

中核化に払ったコストは損になってしまうが、2州分くらいならちょうどいいだろう。

属国は、ヴェネツィア・セルビア・アジュラーン・バフマニーとなる。

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 伏線回収

1663

1月 マムルークに宣戦。

50年ほど前に残り数州まで追い詰めたマムルークだが、そのまま放置状態になっていた。

ペルシアが独立保証をかけていたので、戦争を仕掛けるのが面倒になり、逆に周辺諸国に食われることもなさそうだということで、他の属国回しを優先して後回しにしていた。

今回は、たまたまペルシアの保証がなくなったのを見ての宣戦。イエメンからの保証は続いているがまとめて殴り倒す。

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7月 工場の社会制度を受容。

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8月 マムルークを属国化して停戦。ついでにイエメンの州を7州奪う。

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マムルークを属国化したことで、オスマン以下スンニ派諸国との戦争を引き継ぐことになった。

せっかくなので、ロシアとアユタヤまで援軍に呼んでしまう。

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7月 オスマンと停戦。オスマンおよびナジュドから計17州を獲得した。

エーゲ海やトラキア周辺の州を取れるだけ取り、渡せる領土はできるだけヴェネツィア、セルビア、マムルークにそれぞれ譲渡して中核化してもらう。

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10月、オーストリアに宣戦。事前にイングランドとの同盟を列強行動で切らせている。

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5月 オーストリアから、チロル、ズンドガウの2州を獲得して停戦。

チロルは、城塞州で、バイエルンにも隣接でCBが入手できるが、飛び地ですぐ中核化ができない州になった。
8月 同時並行の戦争でブルネイ(残り2州)を全土併合。
11月 同じくカファとの戦争で15州を獲得。

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奪った州を端からアジュラーン領として食わせていくが、譲渡した州が多すぎてアジュラーンの過剰拡大の限界に達してしまった。
絶対主義値が上限近くまで高まり、属国の外交併合戦略の意味合いも変わってきた。
絶対主義前は属国コア州の再征服によるAE低減が必須級の重要度だったが、今ではAEが飛ばなくなり、包囲網予備軍の各国軍も問題にならなくなってきてAE対策の意味が小さくなった。
反面、州を大量に取れる一方で、普通に征服コア化をしようとすると、今度は過剰拡大や消費するADMの方がすぐに限界に達してしまうので、それ以上に拡張するためには本来の属国のコア州回収以外の土地を吸収させてコア化してもらう作業が重要になってきている。

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