AAR/はじめてのせかいせいふく/第6話包囲網と世界戦略

第7話 連戦ライバルズ

侵略的外交術

1563年

1月 オルレアンを外交属国化。西ヨーロッパではAEの上がり方がとんでもないと分かり、可能な限り外交的に拡大することを試みる。再征服の利用についても集団を講じ始める

従属国は、ノルウェー、オルレアン、アラゴン(同君連合)、それに新大陸植民地となる。

それにしても赤紫系の国ばかりで紛らわしいナァ

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同時にノルウェーの外交併合を開始。

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2月 新大陸チカソーを攻撃。

この後、何故か教皇支配者のイングランドがチカソーに対して十字軍を指定したので、我々にも十字軍の恩恵が得られることに。

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1654年

6月 前年からのマジャパヒトとの戦争で5州を獲得する。

香料諸島に獲得したテリトリーには、交易会社投資の地方ベンチャーで出力を増大させていく。

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 7月 ボヘミアがハンガリーから6州を獲得。ボヘミアの拡大に勢いがついてきた。強力なライバルになりそう

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東欧は、ポーランドの分割に始まり、拡大を続けるロシア、オスマン、ボヘミアの3か国に間に挟まれた国々が押しつぶされていく情勢。

どこかで見たような光景だが、この世界線ではオーストリア帝国も元気がなかったりする。

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 8月 チカソーから6州を獲得。直轄占領地(この後1年で中核化、ルイジアナ植民地として成立。)とフロリダ植民地で分割する。

チティマシャは何故か反乱でフロリダから西インド植民地に所属が移り、気持ちの悪い境界を作っている。

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9月 デンマークに続き、スウェーデンにもノルウェーの再征服戦争で開戦。

属国併合が完了するまでに、ノルウェー中核州の回収を間に合わせるよう、あらかじめ計算の上。

1565年

6月 スウェーデンと停戦。ノルウェーのコア1州の返還に加えて、さらに5州をノルウェーとカスティリャで分け合い、戦後にカスティリャ獲得分もノルウェーに譲渡する。

駆け込みでノルウェー領を膨らませる。

間に挟まるように州を取ることで、スウェーデンの軍を東西に分断することを狙っている。

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11月 並行してトレムセン戦の戦争で1州だけ獲得。

かつての大国たち

1566年

5月 停戦明けでフランスに宣戦。ボヘミアが参戦、大国2カ国を相手にすることになるが、総勢7万は充分叩ける数だ。アラゴン軍もいるし。。

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#921 

12月、3度目のフランス戦(サヴォイに援軍を出したのも入れると4回目)が終結。分割され砦のなくなったフランス全土を速攻で蹂躙して終わる。

ボヘミア軍は、というと、ガバ操作でモスボールのままにされていたナポリを占領しに3万の軍で押し寄せ、主戦場には到着しなかった。

アラゴンとそれぞれ1州ずつ獲得して停戦とする。ここでガスコーニュの州を獲得。アラゴンの請求権を活かして征服で州を取るプランには無理があると気づき、再征服狙いに切り替えている。

AEの上がり幅が大きすぎて、もはや一度交戦した相手にはAEを抑えても意味がないという状態になってきた。

AE抑制を諦めるとなると、1回の停戦期間10年ちょっとの間に、小国を除いても10か国以上の停戦を更新しなければならないという計算。

一応HREやイタリアの国に対しては、AEの超過分を関係改善で相殺してなんとか態度をプラスに維持してはいるが…。

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#936

1567年

2月。同時並行の戦争でブルネイから2州を獲得。

7月。中米チチメカから1州を武力恫喝。

武力恫喝では、結局取った州で反乱が湧くので鎮圧しにいくことになるのだが、植民地だと現地の軍に任せられることが多いのはありがたい

10月。デンマークに宣戦。引き続きノルウェーの中核州回収を駆け込みでやっていく。

ロシアを援軍要請に呼んで受けて貰えたはずなのだが、何故かどこを探しても本戦争の参戦国には名を連ねていなかった。どうやら、ロシアが対デンマークで別個に征服戦争をしかけた状態になっているらしい。開戦した後から参戦を求めたのが原因だろうか?

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1568年

6月。目標を達成して早々に停戦。ノルウェー中核州2州を回収し、本国にも2州を割譲させる。

バルト海沿岸の国々に隣接できるよう土地を得ている。

北欧の地域は土地を獲得してもAEが高まりにくいので、再征服以外でも州を多めに取りやすい。

ロシアデンマーク戦争はこの後も延々と続き、予定外の事態になる。

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1569年

7月。第2次対マムルーク戦開戦。

1570年

11月。マムルーク戦終結。地中海沿岸で25kの軍を海上から捕捉、敗走させた後は順に後続を送って力押しすると、その後は野戦にならず占領地を稼げた。

計8州を奪って停戦。Devの高いアレクサンドリアと周辺の州をアラゴンに取らせ、カスティリャは紅海沿岸とペルシャ湾に支配地を獲得した。

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スペイン化のイベントはアラゴンの州の数に条件があり、Dev値には制限がないので、できるだけ高Devの州をアラゴンに渡しておいた方がコア化コストが節約できることに気づき、さらに欲が出ている。

スンニの大国相手でも包囲網に対し武力で優位に立てる見込みがついたため、恐れずに州を取れるようになった。

同月、マムルークと同時並行で進めていたクスコの戦争も終結させる。

7州をペルー植民地に渡して手打ち。

戦勝点は十分稼げてはいなかったが、停戦サイクルを回すことを優先。

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12月 和平期間になったところでカレからチッタゴンを武力恫喝。
順番が前後するが、2年前にアヴァから武力恫喝したバティンを足がかりにした。
連鎖的に別の国から武力恫喝を重ねて、飛び石戦術でインドへの道を作っている。

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1571年

 2月。またオスマンが弱体化したマムルークに襲い掛かる。二虎競食のチャンス。

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11月。オスマンがマムルークを美味しく食べてしまっては面白くないので、バスに乗り遅れないよう介入する。

今度開戦するのはオスマンの方。オスマン軍がマムルーク領に入り込んだころ合いを見計らって横合いから殴りつける。

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マムルーク領に2万で入ったオスマン軍を倍兵力で捕捉したのに、被害はこちらの方が多くてその上撤退されてしまう…。

主力に合流されると厄介だったが、追い回した末、殲滅はできなかったもののアラビア半島南方のマムルーク領方面に転進して行ったので、結果的には相手をする戦力を削れたことになる。

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死海のほとりでのElkarakの攻防戦。損失の多さでは劣勢になっているが、ともかく攻城戦は完遂できたので前には進んでいる。

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この後のオスマン戦は各地から兵力を集結させ、傭兵スパムもかけて物量で押す展開に持ち込めた。

数の圧力でオスマン軍は近寄って来なくなったのを利用して決戦を避け、アレキサンドリアからシリアへ、バルカン半島からコンスタンティノープルへ、二方面から占領地を広げていった。

1573年

 9月 オスマン戦終結。周辺諸国のAEを睨みながらやや控えめな停戦。オスマンとマムルークの戦いはまだまだ続くようだ。

首都コンスタンティノープルを奪ってバルカン半島領を分断。アラゴンを肥やすためにも役立てる。

カスティーリャが獲得した2州は、ビザンツ復活のための種地と、スエズから紅海へ抜ける交通の要所。

これでヨーロッパ方面の軍とアジア方面の軍を海上輸送で転戦できるようになる。

残りの戦勝点でキリスト教国の中核地を返還させ、できる限り要塞を手放させるようにした。

実は、ビザンツのコアは17世紀になる前にはだいたいが消失してしまうので、再征服をしようとするとほぼ今回がタイムリミット。

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同月、裏でやっていたムイスカ戦は、進捗が悪く白紙和平とした。平和期間確保のために。

11月、パサイから武力恫喝。主に5年の停戦期間のため。

1574年

4月、北欧では、6年前のロシアデンマーク戦争がようやく終結。本当はオスマン戦にこそ一番ロシアの助けを呼びたかったのだが…。

結局オスマンの盾役はマムルークに押し付けられたから良かったが。

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7月、20年前にイングランドから独立させたノーサンバーランドが攻撃を受けてまた併合されてしまった。

イングランドに吸収されるのは嫌だったが、危なくなるまでは、と独立保証の外交枠をケチっていたらいつのまにか攻められていた。

もっといい手があったはず。

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9月、オルレアンの併合を開始。ノルウェーの併合に時期を合わせ、効率的に外交枠を空けたい。

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12月、スウェーデンからネルケを武力恫喝。

どういう経緯でそうなったのか不確かなのだが、請求権があったのに何故か中核化できない飛び地になってしまう。

1576年

5月、10年前にフランスから獲得しておいたベアルンを種地にして、属国ガスコーニュを開放する。

8月 狙い通りにガスコーニュの再征服CBでフランスに宣戦。。

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今回もボヘミア以下同盟国が参戦してきて、総勢10万を超える勢力を相手にすることになる。

10月 オスマン-マムルーク戦争の決着がつき、マムルークは半分近い州を失うことになった。

11月 対仏戦の真っ最中に対カスティリャ包囲網結成の知らせが入ってくる。

いずれも小国でスンニ派諸国の面々だが、油断はできない。

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1577年

3月 バフマニーがヴィジャヤナガル及び同盟諸国に計7州を失う大敗。

インドのヴィジャヤナガルに対抗するため、バフマニーには関係改善をして停戦勧告での介入を考えていたのだが、結局介入する余裕はなく、食われてしまった。

。マモレナカッタ…。

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4月フランス戦に出張ってきたボヘミア軍計38Kを撃破。

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7月、オルレアンの統合が完了。

同月、フランスと停戦。だだっ広いボヘミア以下の同盟国が参戦してきているせいか、フランス本土を占領してもろくに戦勝点がたまらない。

時間短縮のため、今回はボヘミアとの条約破棄と、ガスコーニュへのコア返還2州で手打ちにする。

まだフランス領内にはガスコーニュの中核州が3つも残っているのだが…。

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停戦後、即座にデンマークからフュン島を武力恫喝。停戦期間を5年更新する。

続けざまに今度はイングランドに宣戦。ガスコーニュはイングランド領のアキテーヌにも中核州を持っている。回収させてもらおう。

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10月、中米マトラツィンカとその同盟諸国にも戦端を開く。

11月、ノルウェーの統合が完了。オルレアンと4カ月差、まぁいい方だろう。

従属国は入れ替わった結果、ガスコーニュ(属国)、アラゴン(同君連合)、海外植民地となる。同盟国はロシア、アユタヤで動かず。

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1578年

8月イングランド戦終了。ガスコーニュの中核州2州は回収完了。

州を奪ってもAEが溜まらないって素晴らしい。

残りの戦勝点で、アイルランドスコットランド方面でいろいろ工作してとにかくイングランドの勢力を削っておく。

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9月 スンニ諸国の対カスティーリャ包囲網に綻びが見られる。

周辺諸国との関係改善などに取り組んだ効果もあってか、今回は脅威となるような規模には拡大しなかった。

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同月、マトラツィンカ及びタラスカから3州をヌエバ・カスティーリャ領として割譲させ、停戦。

過剰拡大が新大陸以外に影響を及ぼさないように調節。

ミッション「タラスコの征服」を達成したことで、800ダカットの臨時収入もついてくる。

反省メモ

リンク

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