最初にUrbinoに宣戦してHREに接する方法ではなく、セルビア方面から陸路で接する方法で挑むことにする。
Aggressive ExpansionとCoalitionがきつくなった(戻っただけ?)と記載があったのでClaimなしのUrbino作戦は避けてみた。
また、陸路で接していないとペナルティーがかかるはず(未確認)
初手はDurkadiaに宣戦。性格がBalanceのCandarとRM。Crimiaと同盟。ガレー建造。
同月にKaramanに宣戦。RamazanとRM。
翌月にミッションのDesire of なんとかCityでClaimをもらいビザンチンに宣戦。
戦争の合間に優秀な後継者誕生。幸先がいい。
ビザンチンはコンスタンティノープルを奪って属国化。Ateneやその辺の島にCoreがあるので、コア返還後の併合を狙う。
ミッションは当然失敗。
改宗費用を0%にしてコンスタンティノープルにMissionaryを派遣。
反乱率は17%程度だったか。そのうち反乱軍が沸くだろう。
沸いたら、DesisionのMove Capital to コンスタンティノープルを行う予定。
先にMissionをしちゃうと、Sunniに改宗されちゃうので、Zealotが沸かなくなる。
アルバニアを併合したらVeniceが包囲網へ。うーん1.5は包囲網まで早いなあ。AE的には5年で0になりそうなので、放置。
BalanceのRamazaとCanderのDiplo Vassalを急ぐ。
首尾よくCanderの属国化に成功。
もう少しでRamazan。と思ってたところに同盟国のCrimiaがGolden Hordeに宣戦。参戦要請が来る。
Golden Hordeの同盟国はティームールとウズベクとAq Quanyu。
以下の3つの理由で参戦を決める。
①Prestage -25が嫌なのと、ErzumのコアをAqから奪いたい。
②あわよくばGolden HoldeのTerra Incognicaを解消、または属国化して将来のMoscovy戦をスムーズにしたかった。
③幸いQuara QunyuはTimuridsをライバル視してるので、Nogai回りでしか来ないはず。被害はCrimiaどまりだろう。
相手の盟主はティムールになった。現時点でティムールとまともに戦う気はないので気にしない。
Aqの陣地を調子よく制圧している間にSerbiaがBosniaに宣戦。Serbiaは既にRagusaを武力併合済み。Serbiaがボスニアの領地も奪えば、Serbiaを属国化すれば一気にオーストリアとの隣接に近づく
次のターゲットはSerbiaに決定。この戦争が終わったころにはBosniaとの戦争でマンパワーを減らしたSerbiaに宣戦しよう。
ZetaにFabricate Claimする。
GHに向かおうとしたが、Kazanが相手方で参戦したこともあって、Crimiaがボコられてる。
反乱軍も沸いていてCrimia方面に向かうとこちらのマンパワーを消費することが確実だったので、放置。
Aqは戦争中にマムルークと同盟をした。嫌な感じ。この戦争でErzum取れないと、面倒だ。
反乱軍とKazan GH連合軍にやられ続けるCrimiaは、AqからErzumをオスマンに分ける形で勝利和平し、その後Timridsと敗戦和平。金払って、一部の外交を破棄して決着。
ここまではラッキーだった。
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コンスタンティノープルにたまっていた軍勢は、第一撃で殲滅完了。
結構残ることがあるので、これはうれしい。
翌年春には全土を制圧し、あとは占領を待つばかりとなる。
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947日って時間かかりすぎだろ。
ベネチア海軍のせいで海上封鎖できなかったとはいえ、これはひどい。
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なんとかビザンツ全土を占領。
しかし盟主がベネチアになっている。
アテネ、ナクソス、およびコルフも占領していて戦勝点は38%。しかしビザンツ併合はおろか領土割譲要求もできない。
「アルバニアの領有権放棄くらいなら考える」とのお言葉。ふざけるな。
ベネチアの同盟関係のチェックをすっかり忘れていたので、プロヴァンスと属国ロレーヌも敵に回っている。
どうせこないだろう、と思っていたのだが。
同盟国の危機に、プロヴァンスは10000以上の兵力を派遣する男気を見せる。
3000しかいないコンスタンティノープル包囲軍には目もくれずタルノヴォを包囲してくれたAIに感謝だ。
主力がテサロニキにいるところでワラキアあたりにひょっこり出現したのを見た時には、包囲軍全滅も覚悟したのだが。
ロレーヌも属国の身ながら10000近い兵を投入。
別々に来てくれたので助かったが、まとめてこられていたら危ないところだった。
アルバニアに上陸してきたベネチア軍との戦いもあり、一時マンパワーが10000近くに落ち込むという危機的事態に。
あまりマンパワーが減ると、マムルークがアップをはじめる。
ダルマティアやイストラを占領して戦勝点を稼ごうかとも考えたのだがモルダヴィア、ハンガリーの通行許可しか取れない。
あまりに遠回りすぎる。
ベネチア軍はまだ26000おり、遠征中に手薄なところに上陸される危険が大きすぎると判断。
あきらめて根競べに徹することに。
この時点で戦争疲弊は3.17。港の封鎖で毎月わずかだが上昇している。大丈夫か?
1451年12月5日 ベネチアと停戦 アカイアを獲得
ようやく割譲要求が通るようになったので、アカイアのみで妥協。
最初の一戦でビザンツを併合する目論見はもろくも潰え去る。
疲弊は3.53まで上昇。さらに粘ることも考えたが、マムルークが怖いので中止に。
ビザンツとベネチアが包囲網を組んでいた場合、ビザンツが盟主のままの場合もあるので賭けてみたのだが・・。
その結果がこのありさまである。
1454年初頭 ようやく厭戦が1を切る。
一時不穏な動きをしていたブルガリアの民族主義者も沈静化し、そろそろ軍事行動も可能なころあいである。
停戦期限切れまでじっとしているのも芸がないので、周辺を見渡してみることに。
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グルジアになにがあったのか。
ちなみに首都を占領しているのは農民一揆、コア化もできていないクバニを占領しているのはタタール人の愛国者たちである。
目立つのはキプチャクと黒羊朝の拡大。中核州のエルズルムが黒羊朝にとられているのは痛いところだ。
外交関係を確認してみるとトレビゾンドが孤立しており、グルジアと無意味な戦争を繰り広げている。
というわけで、まずトレビゾンドをいただくことに決定。
しかしここでベネチアが包囲網を離脱。関係改善を続けていた成果が出たようだ。
態度はまだ-91なのになぜだろう。
不要に刺激してまた包囲網入りされたくはないという理由から、トレビゾンド攻めは中止してビザンツとの停戦期限切れを待つことに。
1456年11月27日 ビザンツに宣戦(2度目)
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停戦期間切れと同時に、ビザンツに再度の宣戦。
すでにセルビアには同盟を切られており、包囲網を形成しているのはビザンツのみ。
画像は絶賛反乱中のロードス島に上陸するオスマン軍。いつの間にかビザンツ領になっていた。
こちらは5000のうち騎兵が2000おり、リーダーはshock3で相手はいっき。しかし同数程度で上陸戦だとどうしても不安である。
1458年2月10日 ビザンツ併合
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おまけで属国になったアテネ公国。いらない。
今度は特に語ることもなく併合。
併合直前、ロードス島への捏造を忘れているという重大なミスが発覚。
迷ったのだが結局即併合を選択した。
1460年代までビザンツが残ってるとかありえないだろ。オスマン的に考えて・・。
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なんだか14年ですごい量になっているが次回以降、加速していく予定。