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幾多のマルチを重ね、あるいは見守る中で、決して忘れる事の出来ないマルチがある。
コア層の集いであったコミュニティが
一挙に拡大へと転じるきっかけを作ったそれは
これまでとは違い、様々な主義主張を胸に抱き参加する姿が見られた。
ハードを重視し、領土欲を絶やさぬ者...。
ソフトを重視し、他国と緊密な連携を重ねようとする者...。
ロマンを重視し、国際的世論をしり目に我が道を往こうとする者...。
願いは失意へ、失意は憎しみへと変わり、時として争いを生み出した。
延々と続くプレイに嫌気がさしたのか、新たなマルチに思いを馳せたからなのか
打ち切り前提の最終戦争を持掛けられた。
採決の後、実施される運びとなり、形は定められた者が個別に勧誘を行い陣営を形成する
自由外交に近いものとなった。
直前の裏切りや外交に充てる時間割り振りの差異から、アンバランスを生じさせ
結果的に不平不満が飛び出す事に繋がった。
やり場のない怒りの矛先は、幹事である私に向けられた。
「なんで裏切りを認めたのか。学芸会で責任を押し付けられた過去を思い出した。」
...私は盟主でも、認めた側でも無い。
「幹事がずるしても誰も分からないんだから、やってておかしくない。」
...疑わしきは罰せよとでも言いたいのか。
「皆で決めたルールを平気で破る。」
...身に覚えがないどころか、今初めて耳にした指摘だ。
「陣営分けを不公平にした。」
...外交をするのは私ではなく、個々人である。
「お前はいつも有利な陣営に参加しようとする。」
...私が参加表明した時は、盟主と私しかいなかったのだが...。
「プレイ日程を勝手に改変して、権限を恣意的に活用した。」
...日程調整表は何の為にあったのか。
「問題が起きる都度、自分の都合の良いようにルールを改悪した。」
...そもそも、私自身が提案した案は一つも無いかった。
「投票結果を操作して、公平性を欠いた。」
...私自身は常に棄権で、しかも名前付きで投票結果を開示したにも関わらず、この様か。
「一部のグループで固まって動いてる時点で公平性は失われていた。」
...波独墺同盟を指すのだろうが、開戦まで内2ヶ国が揺れ動いていた事は本人が知っていたはずだ。
「幹事という立場を利用してインチキをしたペテン師みたいな存在。」
.............?
「何故この様な最終戦争の形を思いついたのか。」
................................。
良かれと思い、匿名での提案はいつの間にか私が提案したものであるという虚実に挿げ替えられていた。
また、その中に提案した者や賛成票を投じ推進した者の姿もあった。
面倒な事に関わりたくないという気持ちは分からなくもない
ここへは娯楽の為に訪れたのだから。
意見を時と共に変えゆく事は柔軟とも取れるが
言動と行動が一致していなければ、これほど無責任なことは無い。
自分の言葉に責任を持ち行動をしてほしかった、それだけだ。
この願いは、それほど贅沢なモノか...?
失意のどん底にありながらも理解出来たのは
それらすべてを一手に引き受けることが出来る器を欲しているという失望と
場の収集には今すぐ実行する必要があるという有望だけだ。
すべて絶望した姿を目の当たりにした、ある者にこう告げられた。
「あなたは、長くは持たないよ―――」
良いだろう...半年間だけ、お望みの幻想を見せてやろう。
それもとっておきの幻想を、だ。
覚めた時、私の姿はないだろう。
私とかつて目にした悍ましき災厄が引き起こされるのか
浄化された美しい交流の場が広がっているか。
それを導くのは、私ではなく個々人の意識に他ならない。
導く必要はなく、その価値もない...ならば、私は器になろう。
カラになったこの身体に人の総意を引き受け、彼らが願うところを願うとしよう。
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アジアの融合、グレートパワーの対立。そして世の理は示された。 統計タブ [[Country>]]・[[Armies>]]・[[Navies>]] |
開始後、直ぐに軍の作成に着手した。
集団的自衛権の傘に入っていたから持たずしてよかったが、これからは違う。
ポンポン生み出される軍団を見て、Moroccoが思わず「Ottomansの軍が凄い勢いで増えてる...。」と口を滑らせていたが
適当に「そろそろ条約(欧州不可侵協定)が切れちゃうからね。」と言い訳しておいた。
リアル事情により、詳しい作戦資料を配布していなかったため
Qingから戦中の動きについて確認が寄せられるが、簡易的説明を行い参戦後の動きを指示しておいた。
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テンプレートのお蔭で軍編成はスムーズに運び、Russiaから見えないプロビに配置を済ませ
開戦と同時になだれ込むことが出来るよう準備を整えた。
同時に、参戦予定のMughalsにも流れを説明をし
この不可解な作戦にミスが生じないよう、確認を重ねておいた。
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ユーラシアの覇権を掛けたこの戦い。
全体VCでは、君主点や資金不足が嘆かれ、普段とは変わらず和やかな空気が立ち込めていた。
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―――――――――――――――――――――4ヵ国チャット――――――――――――――――――――
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一体、この物語は誰の視点で描かれようとしているのか。
主観的な悪に立ち向かう、正義を語るあか抜けないジュブナイル作品の主人公か?
それとも、悍ましき思念を纏う得体のしれない'何か'が
世界を覆う様が描かれようとしているのか...?
その目で見届けて欲しいと思う。
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辺りはざわつき、戸惑いの声も聞かれたが
Austria/Russia以外は知っている事を考えると、なかなか滑稽な情景である。
いい役者が揃ったもんだ。
すぐさま、Russiaから戦争について確認が寄せられ、開戦前の交渉の場が持たれた。
その理由は包み隠さず書くと、事前の要求図を用意する時間が無く
それらほとんどが口頭で伝えられた為、行き違いが発生しないようにする為だ。
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酷く困惑している様子であったが、無理もない。
スゥーっと伸びた1プロビの連結路がOttomansまで伸びる様は、想像するだけで異様であるし
何よりRussiaの貿易中枢部足るAstrakhanを失う事は、すなわち国力低下は避けられないのだから。
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「ええええええええ」という驚きの声と共に、開戦前にも拘らず激しく動揺をしてしまった。
前回、いつでも戦争が出来るように要塞ラインを整えて貰い
軍式もそれに準じる形で最大限計らって貰ったのにぃぃぃ!!
これはいかん、こんなのに勝っても全くうれしくないどころか
後々「酒に飲まれた」とか逃げられかねない。
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どうしても、対等な状態で戦いたいという我がままボーイっぷりがさく裂した。
まぁ、Mughals/Qingが参戦決定している時点で対等ではないのだが
計画当初では一人で攻め込み決着をつけるつもりで居たし、ある程度のフェアネス精神は保ちたかった。
アルコールを胃へと流し終えた後、再び最後通牒を突き付け拒否されたことを確認し
両国は戦争状態へと突入して行く事になる。
戦争状態に突入したOttomans/Russiaであったが
お互いにさしでの勝負であった事から、VCは分けられずにそのまま行われた。
途中、Russiaに保護*2を入れていたAustriaが参戦した事で騒然としたが
欧州不可侵条約の存在を告げ、引き下がって頂いた。
そのまま来るなら、France/Hansaに侵攻して貰えばいいだけでもあるので、賢明な判断だ。
急ピッチで進むRussia軍の再編成。
軍自体は、陸軍扶養限界の7~8割程に留まって居た為
シベリアの奥地で生産を開始したようだ。
一方、Ottomansはこの戦争を通していくつかの実験をする予定であり
その下準備に取り掛かっていた。
国境付近2プロビ以内をAssultで落とし、聖地を完了させる。
Austria戦の教訓から、戦争が長期間に渡って行われると見越して
CBプロビであるKhundziaは今は手を付けずにおいた。
Russia軍も編成を終え、消耗しないよう気を付けながら南側に軍を寄せつつある。
開戦から2年程経過した頃、ついに効果が現れた。
Russia全土は文化転向が進み、既に異国コアは消えていた為
反乱はPeasantsかZealots位のはず...だった。
しかし、それは平時の場合だけである。
占領される事による反乱率増加+反乱扇動*3+Sow Discontent+厭戦が重なり
該当地域の反乱率は+10%以上増加する形になる。
それに加え、一部の国家はコア表示されていないにも関わらず
反乱により1821年まで成立トリガーが保たれている*4為、それを反乱応動で確認し利用したという事だ。
国境付近を荒らすだけで動きを見せなかったOttomansに対し、Russiaは幾度も「なぜ動かない?」と問い合わせてきていたが
Austria戦での悪夢を目の当たりにしていた事も有り、慌てて動き出した。
皆さんご存じの通り、Russiaは奥地に行けば行くほど、拷問に等しい消耗が待ち構えている。
だが、それはこちらが動いた場合であって
相手を動かす事が出来るなら、それを捕まえて撃破すればいいのだ。
と、ここでAustriaから一つの提案が寄せられることになる。
以前、同様の事態を盾に講和を迫られた悪夢が脳裏を過りシンパシーを感じたのか
将来的なOttomans戦構想に向け、少しでもRussiaの国力を温存させたいのかは分からない。
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Austria=Russiaは、Ottomans/Hansaによって分断されており、そのどちらかに行軍権を貰わないと軍を送ることが出来ない。
よりによって、「独立に向けてOttomansのテンションが上がりまくっているこのタイミングにかよー!」と思ったが
別に実験や遊びの類だし、何でもいいやと言う考えに至った。
サシで勝負をするつもりで居た時は、これをもっと大々的に活用して押し込む予定だったのだけど
今はそんなのに頼らずとも別の手がある。
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いいよ、最後の言葉とてもイイヨ!!
感情に訴えかけるのは、筆者にはもっとも効果的な手である。
Austriaと会話中、Russiaが反乱軍の一部に向け行軍を開始しているのを目撃した。
「あれ、もしかして計ってる?」と思ったが、この際どうでも良い事だ。
若干もたつきながらもRussiaが目的地と定めてると思しき反乱地域に向け
こちらも軍を動かし始める。
あっ
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実はこの時、裏で厭戦転送*5やらスモールワープ*6の実験に成功し
一人踊り狂っていたのだが、誰も気づかなかったようだ。
さて、そろそろ遊びも終わりにするか...。
開戦から8年賀過ぎようとしているにも拘らず
Ottomans=Russia間では、互いに軍を牽制し合い実質的な衝突は皆無であった。
その間、Russiaは国際世論を味方につけようと
Ottomansの脅威を煽るが、この時点で動ける余地があるのはJapan位であった。
そんな中、ついにRussiaの要望に応え
膠着した現状を打破しようと動き出す国が現れた。
ただし、敵対と言う形で...。
――――――――――――――――――――全体チャット――――――――――――――――――――
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Qingの参戦を受け、戦いは第二幕を迎えようとしていた。
手筈通り、QingはRussia主力が留守中のシベリア方面から侵攻し
東部から圧迫をしはじめた。
これに刺激されたRussiaは、一度奥地に軍を引かせた後
Qing側に行軍を開始しようという動きを見せた為、右翼の軍を前進させ捕捉に取り掛かった。
しかし、これを見たRussiaは思い切って北に引き上げ為
こちらも突出を恐れ、一度国境側へと撤退をした。
こういう場合、諦めが肝心だ。
Ottomansが負う姿勢を見せ、背後を突かれる事を危惧したのか
その後、Russiaは以前の配置に落ち着きじっと身構えたまま動かなかった。
東部では、Qingが順調に占領を行っており
また、Mughalsの参戦も近い事から、右翼320k程をMughals側に派遣し護衛にあたらせる準備を始めた。
そして、戦争開始より10年が経過した頃...。
――――――――――――――――――――全体チャット――――――――――――――――――――
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Mughalsの参戦により、Russiaの東部からの圧迫はより一層強まる事に繋がる。
その抑止力足る戦力は、Ottomansの正面に釘づけにされ
既にRussiaのもとに残されてはいなかった。
東部からなだれ込んでくるQing=Mughalsの占領軍を前にして少しでも動けば
Ottomansがスパイで察知し、前衛を崩しに掛かる布陣がここへ来てようやく姿を現した。
今回のRussia戦に関し、何故Ottomansがこれほどまでややこしい手順を踏んだのか。
普通に考えれば、3ヶ国の全力を持ってして戦いを挑めば
10年も時間を費やさずともそれなりの戦果は挙げられたと、私も思う。
しかしながら、これは理論上の戦果に他ならず
外交的不確定要素を排除したものであると言わざるを得ない。
まず、国際情勢は対Moroccoで動き出しており
その宿主と目されるOttomansに対し、いつ襲い掛かってきてもおかしくない。
そして、Ottomansやその同盟国がRussia戦に際して一時的に戦力を喪失する瞬間が生じれば
海賊行為助長を名目に対Ottomans=Morocco包囲網を呼びかけ
積み上げてきた外交関係は脆くも崩壊する危険性があった。
口では「Ottomansさんを支持します!」と言っていても、裏の顔ではほくそ笑み隙を窺っているかもしれない。
それら不安を払拭するために講じたのが、この段階的参戦案である。
第一段階として、Ottomans=Russia戦中の国際世論をまずは聴取。
次に、Qingが参戦した際のJapanの反応や欧州各国の動向を監視。
この時点までにRussiaは敗北に近づいているだろうことから
もしも、動く気がもとからある国がいるのであれば、ここで何かしらのアクションが見られると踏んでいた。*7
そして、Mughals参戦に至って両軍は激突する最終フェイズに突入するのだが
Russia国内で長期間の戦闘を続けるのは自殺行為である。
最小限の戦闘回数に抑え、段階的に参戦を促す事で他国の全力介入までの時間を与えない事で
動向を探りつつ国力の温存させる仕組みだ。
外交的敗北こそがマルチに於いて最も重い物であることは、筆者はこれまで十分理解してきたつもりだ。
なればこそ、要求戦勝点が低下しようとも
より安全性を重視したという訳だ。
汲み上げられた情報は、以後の諜報活動や最終戦争の陣営予想にも役立てられるだろう。
この段階的な参戦を見て、各国は真意を測ろうと躍起になっていた。
無理も無い。
Russia戦を計画している事は、Russia/Japan以外の国が知るところにあったわけなのだが
行程についてはなんら説明をしていなかったからだ。
筆者は非常に疑り深い。
敢えて全体チャットに残した上で、関係各国にそれぞれ情報に相違点を設け
まったく通達していない作戦を実行する。*8
混乱する各国に対し、全体チャットに居残るRussiaが公然と勧誘を開始し
各国を動揺させさらに揺さぶり(混乱)をかけようとする。
予想による誤認と、組させようとして意図的に流される偽情報が合わさり混乱を極め
その場にOttomansが居ないのもあって、本音が交わされるであろうと踏んでいた。*9
―――――――――――――――――――3ヶ国チャット―――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
道化を演じているようで、実は割りと本気のコメントでもある。
実際、この戦争を通してOttomansは首位レースに向け利益を得る予定は無かった。*11
Russia=Ottomans間の国境には、依然として反乱が沸き続けた。
反乱軍を挟み不気味に鎮座するOttomans軍とにらみ合いが続き
東から押し寄せるQing/Mughals連合軍に対し、目立った動きは見せなかった。
この時、Ottomansは水面下である計画を指導させていた。
それがこれ、お分かり頂けただろうか?
EU2時代から存在していた、戦勝点マイナス30点分の要求を送る事で相手の安定度を下げると言うシステムだ。
Russiaのように、長期戦に持ち込めば有利になるような国に戦いを挑む場合
大体の場合は、攻め側=不利と言う構図に陥りやすい。
そのカウンターパートが、この相手に動いて貰うための負荷である。*12
無論、相手が講和内容に目を通し受諾してしまった場合
下手をすると大損もいいところになりかねないのだが、そこはちょっとしたコツがあったりする。
講和を送る度にRussiaの安定度は下がり続け
Russiaのゲーム画面では嫌がらせの如く「シャーン...」という不気味な音が鳴り響いていたに違いない。*13
その後もRussiaのStabilityが上がる度に
すかさず講和を送り続けマイナス3から脱しないよう調整を続けた。
この頃、HansaがRussiaと同盟を組んだと言うPOPが表示された。
国境戦付近を見ると、属国まで用意しバルカン半島を切り取りに来る構えを見せていた。
奴さんはやる気のようだ。
―――――――――――――――――――3ヶ国チャット―――――――――――――――――――
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"目"とは、以前触れた情報ネットワークのことである。
誰かどこかの国が動き出そうとすれば、情報が転がり込んでくるという体制を整えたのは
楽して危機が迫っている時に事前に感知する為でもあり、全体チャットでの動きについては報告が入ってきていた。
今回の戦争でHansaの参戦が無い事を確認したうえで、反乱鎮圧のために
付近に配置されていたRussia軍へ強行軍で一気に詰め寄り、UKEKのRussia軍を溶かしに掛かる。
懸命にも、不利と判断したRussiaはこれに追加投入をやめ北上を開始しようとしたが
Saratovで捕捉し、今戦役に於ける最大規模の会戦が開始された。
一方、Ottomansはのんきにも会戦を利用して実験を行いデータを収集していたのだが*14
よくよく見ているとやばい事に気づいてしまった。
あれ、Moral低すぎね...?
Franceが革命を成立させていこう、OttomansはFranceと同盟を組みなおして居らず
年間威信マイナス5を受けた事に加え、威信マイナス50のイベントを引き当ててしまい
威信マイナス86というまったく持ってお話にならない数値にまで下がっていた。*15
また、時期的に兵科PIPに差があったことも祟り面白いように溶け
これ以上は無意味だと判断し、半包囲に取り掛かっていた前衛を引かせはじめた。
ローテーション妨害にあたっていた前衛軍を下げ、総軍を国境まで引かせようとした矢先
これを見たRussiaが強行軍でこれに攻撃をかけ、退路を寸断してきた。
さすがにそこまで甘くないか。
実験用に歩兵のみで構成されていた軍団が散在していた事が祟り
撤退途中のそれらが食われ、合計で120k程が撤退待たずして壊滅してしまう。
会戦に参加していた軍団を一度無条件撤退させ、既に撤退を済ませていた軍団は
これ以上の被害を生み出さないよう国内奥地へ引かせるよう移動指示を出した。
そしてこの時、人知れずひっそりとえげつない技がロールアウトしていた。
どんな兵士が最強の軍隊を作ると思う?
最強の軍隊とは歩く兵士だ。
疲れることも飽きることもなく歩き続ける男たち。
もし1分間に70歩でなく120歩を
1日に60キロ以上を歩破する兵士たちがいれば敵はどう戦う?
常に思いもよらぬ方向から奇襲を受け、決戦地では先に陣を敷かれ、
追い詰めようとしてもあっという間に手の届かぬ所まで引かれてしまう。
もし兵士の一歩が少しだけ他人よりも長ければ
足の回転が1.5倍速ければ―あるいはもっとだ―
それだけでヨーロッパの地図を塗りかえられる!
どこから現れるかも分からない軍隊。
そんなものを再現できたら、一体戦いは同変わるのだろうか...?
眼前でワープを続ける軍団にあっけに取られている間
Russia軍はCBプロビ*16目掛け南下を開始した。
こんな代物を目の当たりにして言葉が出てくるはずも無く
完全に放心状態に陥っていた。
―――――――――――――――――――――3ヵ国チャット――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
完全に平常心失ってます、本当にありがとう御座いました。
CBプロビに移動指示を出しつつ、西のワープ軍団に目を移すも
変わりなく、移動指示先に1日で移動を完了する軍団が居た。
何なんだこれ...。
ここから手記が一筆も進んでいなかった辺り、頭の中がすべて占有されていたようだ。
話を戦争に戻すと、RussiaはOttomansが滑り込ませたCBプロビ占領軍と交戦中にあり
これを討ち果たし包囲を解除しようとほぼ全軍を投じていた。
完全に失念していたOttomansは、これを見過ごし
撤退中の軍団と補助軍の撤退の為、南下をしてしまっていた。
このタイムロスが祟り、折角滑り込ませておいた軍団は敗走
CBプロビの占領は解かれてしまった。
該当プロビが山岳という事もあり、こちらから攻撃をはばかっていたところ
補給上限の低いプロビに大部隊が駐屯するは辛いと判断したのか、該当プロビに200kを残し分散を始めた。
分散した軍団は本体同様かそれ以上の100~200kに分けられ
戦勝点を軽減しようと、周辺のプロビを1フェイズAssult*17を刊行していた。
兵力が磨り減ってきたところ
Russia本国から補充用の軍団を南下を開始しているのを見つけ、これに支軍をぶつけ撃破。
しびれを切らすのを待った。
2つ程潰した辺りでKahketiに駐屯していたRussia軍200kに対しフェイクに300kを
CBプロビにも100k程移動指示を出した。
移動グラフィックが同一であった事もあり、Russiaはこれに気づかず
CBプロビに居た直近の200kを動かし、そのままKahketiに突っ込んでいった。
Kahketiに移動指示を出していた300kを止めて、CBへ向かわせておいた軍と合流。
同地をAssultし、無事占領権を再取得した。
CBプロビ奪還とともに、Russia軍は南北に分断された状態に陥った。
危機的状況を脱しようと、Shirvan→Dagestan→Tarkiの順で合流を果たそうとしていた。
悪知恵が働いた筆者は、軍の半数以上をTarkiを行軍中のRussia軍にぶつけ
CBプロビには100k程度残すのみとした。
戦争期間も残りわずかである事から、RussiaはCBプロビ奪還とローテーション妨害のために
残す兵力をつぎ込むだろうと判断したからだ。
読みどおり、RussiaはCBプロビにあまった兵力をつぎ込みOttomans防衛軍を殲滅しようとするが
Tarkiで戦闘中の軍団の中で、Moralが傷ついていないものを同地に撤退させ戦闘に参加させる。
TarkiからDagestanへ、ローテーション用に軍を撤退させようと計るも
Russiaはなけなしの軍団をCBプロビより派遣しこれを潰しに掛かろうとする。
しかし、Tarkiには無傷の軍団が多数在籍して居たため
これを追加派遣し、Dagestanの戦いを有利に運ばせる。
Tarkiに過剰ともいえる兵力を配置していた事は
大スタックにも関わらず消耗もせず援軍を派遣する足場を確保させる事につながったのだ。
山岳での戦闘は不利と見てか、RussiaはCBプロビでの戦いを放棄し
直ぐ北のTerekにて軍の再編成を開始した。
その後も、Dagestanでは残留部隊が抵抗を続けていたものの
南部から合流を果たしたMughals軍により戦局は覆され、同地にて全滅した。
Terekから優秀な将軍が戦死したTarkiに向け、戦力の追加投入を図る動きが見られたため
Tarkiでの戦闘に終止符を打つため、Terekに軍団を無理やりねじ込んだ。
援軍と将軍を同時に失ったTarki会戦では
途中100:5000というすさまじいキルレートを叩き出しつつ戦いを有利に進め
無事勝利を収めた。
Tarkiでの勝利を確認した後、Terekに攻撃を加えていた軍団を全て撤退させた。
戦争期間も残すところ2ヶ月というところであったが
Mughals経由で到着したQingからの増援が何もせず帰国するのも申し訳ないと感じ
最後に一瞬だけ大会戦を興じ、無事終戦を迎えた。
戦勝点は56点と、実質2年間しか動きが無かった割には割にはなかなかに稼ぐ事ができた。
講和内容は至ってシンプル、MughalsはKashimirを、QingはSamarkandをそれぞれ戦勝点分要求をしておいた。
要求を見て、Russiaは「Ottomansさんは何も取らないのです?」と問い合わせてきたが
そんな予定は存在しない。
物的利益よりもはるかに勝る情報を手にすることが出来たので、Ottomansとしては十分な収穫であった。
今回の戦争を通じて、Austria/Hansa/Japanは敵方に加わった時のことを考え
情報に直接アクセス出来ないよう締め付ける必要があると感じた。
今回の戦争は飽くまで前哨戦に他ならず、次こそが本戦であるのだ。
全体チャットに戻ると、3vs1での戦争を経て尚
国体を維持している自身の国力を武器に、糾合を行おうとするRussiaの姿があった。
実際、Manpowerなんてものはしばらく待てば全快するし
次回戦を見据え、仲間集めに躍起になっているといったところだろう。
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実際、スクリーンショットをサルベージして見ても
講和画面やら辺境の地ばかりが移りこんでいて、クリミア以北での戦闘でまともに使える画像が一握りであった。*18
起死回生を計ろうとOttomansの脅威をあおろうとするRussiaの他に
気になったのがJapanの存在である。
尋常ではない落ち込み具合を見せ、何があったのかを聞いても答えてくれようとはしなかった。
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全体チャットに居合わせたメンバーに聞いたところ
「Qingが参戦→唖然→Mughalsが参戦→孤立させられたと認識→絶望」という認識の下
死期が近いと悟ったらしい。
そこに火に油を注ぐ形で、Russiaが勧誘がてらJapanが危機的状況にあると説いた事で事態は複雑化してしまった。
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完全に投げやりになっていたJapanは
「Russiaと同盟を結び、一緒に死ぬ」などと言い始め、自分から死にに行くような姿勢を見せ始めた。
幾らなだめても、Japanは聞く耳を持とうとせず、ついにはQingの貿易ルートを分散させる形で商人を配置し始めた。
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とても腑に落ちなかったのは、海賊討伐について話し合いの場が持たれた際
その途中で会話が終わってしまったのは、Japanが居なくなった*20からなのだが
Japanの中ではOttomansが会話を打ち切ったという認識だったのかもしれない。
それにしても、QingからRussia戦の話が行っている筈なのだが
何故このタイミングに、ここまで荒れているのかさっぱり分からないで居た。