ver1.6.2では本AARタイトルの元ネタ、太陽王ルイ16世の治世(17世紀後半)まで進んでいたのですが、ver1.7とRes Publicaのリリースにあわせ、仕切り直そうと思います。
本編はストックがたまり次第再開しますので、今しばらくお待ちください。
当面は、本MODのver1.7対応作業とデバッグに追われそうですが、せっかくですので、その修正作業風景などを交え、MOD講座として随時連載していきたいと思います。
とはいえ、MOD講座もストックがないので、やっつけながら1444年のグランドキャンペーン開始に至るまでのフランス前史(妄想分過多)を紹介します。
この平行世界上では生起していませんが、それに近い形で英仏間の戦いがありました。
1415年、グレートブリテン島全土を平定したヘンリー5世はその余勢をかって北フランスに侵攻します。
迎え撃つはシャルル6世率いるフランス軍。両軍はアジャンクールで激突します。
しかし戦いは両王の負傷(一説に一騎打ちによる負傷)というアクシデントにより中断され、ヘンリー5世は撤退します。
負傷したシャルル6世は体調が悪化し病に伏せるようになります。
王太子シャルルが王国の政務を代行しますが、兼ねてより不仲であった王族のブルゴーニュ公ジャンとオルレアン公ルイが権力闘争を繰り広げるようになり、内乱状態となります。
1422年、内乱の渦中にシャルル6世が崩御します。
順当に王太子シャルルが即位するかに思われましたが、王太子の出生にまつわる疑惑(王太子シャルルの母親イザベル王妃は奔放な女性であり、王太子シャルルはシャルル6世の実子ではないとの噂が立っていた)からブルゴーニュ公が異議を唱え、即位は認められたものの、ランスでの戴冠式を阻まれます。
これは、ランスで戴冠しない限り、真のフランス王には認められないとの王国の慣習を逆手に取ったブルゴーニュ公の嫌がらせであり、親王筆頭格の自身が混乱に乗じ、あわよくばフランス王になろうという野心のあらわれでもありました。
しかし、ブルゴーニュ公の野望は、ドン・レミの乙女ジャンヌ・ダルクによって阻まれます。
王太子シャルルこそ、真のフランス王と神の啓示を受けたジャンヌは彼のため、ブルゴーニュ公に占拠されていたランスを解放します。
1429年、王太子シャルルはランスで戴冠しフランス国王シャルル7世となります。
国内の混乱も、ランス戴冠で正統性を得たシャルル7世の下、収束に向かいます。
また、ブルゴーニュ公、オルレアン公両者の派閥争いは却って自らの地位、権力を貶めることとなり、やがて彼ら大貴族たちは強大な王権に前に屈することとなります。